イングランドより、フランスが好きなスコットランド人

 

1587年の2月18日に、スコットランドの女王だったメアリーが処刑された。
メアリはエリザベス1世と血のつながり(従姉妹)があり、イングランドの王位継承者でもあった。
何度もその権利を主張していたメアリは、エリザベス1世のまわりの人間にとっては目ざわりな存在で、彼女がエリザベス1世の暗殺計画に加担していたことが分かり、イングランドで首をはねられた。

 

処刑人がオノを振り上げて、メアリの首を切断しようとしている。
一度目はオノが後頭部に当たって失敗したから、メアリはいらない苦痛を味わってしまう。
彼女は生前、自分をフランスに埋葬してほしいと願ったが、それはかなわなかった。

 

むかしタイを旅行していたとき、首都バンコクの宿で20代に見える白人男性と同室になった。
ボクが部屋に入って目が合うと、彼が笑顔で「こんにちは。ボクの名前は〜で、スコットランド人だ」とあいさつをする。
スットコ、いやスコットランドというのは、イギリス北部の地名のはず。ということは、彼はイギリス人ってことか。
そう思って、「あなたはイングリッシュですね」と言ったら、彼は急に不機嫌になって「それは違う! オレはスコットランド人って言ってるだろ?」とキレ気味に言われてビビった。
この場合は彼が完全に正しく、ボクが無知だった。

イギリスの正式名称は「グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国」という。
イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという4つの「国」が連合して一つの国家を形成している。
サッカーのワールドカップではそれぞれが別々に参加しているから、絶対にイングランド以外を「地域」と思ってはいけない。
基本的に、それぞれの国の人がアイデンティティーを持っていて、特にスコットランド人は独立心が強く、イングランド人と同じにされることを嫌う。
ボクが宿でしたことは悪質な嫌がらせで、危険な挑発行為だったのだ。

 

知人のイギリス人は、父親がスコットランド人で母親がアイルランド人の“ハーフ”で、彼女はスコットランドのパブでこんな光景を見たと言う。
その店ではサッカーの試合が放送されていて、みんなビールを飲みながら、フランスを応援していた。
フランスが得点すると歓声をあげ、イングランドが得点すると舌打ちをする。
正確に言うと、みんなはフランスに勝ってほしいというよりは、イングランドがみじめに敗北する姿を見たかった。
これは「スコットランド人あるある」で、彼らはイングランドに対して強いライバル心を燃やしているらしい。
もちろん、これはイングランドという「国」に対する感情で、イングランド人とスコットランド人が仲良くしているのは、まったくめずらしいことじゃない。

世界最古のサッカーの国際試合は、1872年に行われたイングランド対スコットランドの試合。
両者の関係は特別で、ウィキペディアに「サッカーにおけるイングランドとスコットランドのライバル関係」という項目がある。

 

知人の話によると、スコットランドでは、イングランドよりフランスを好きな人が多い。
Q&Aサイトの『クォーラ』には、「Do French people like the Scots and Scotland?」(フランスの人たちは、スコットランド人とスコットランドが好きなん?)という質問がある。
そこに寄せられたコメントを見ると、フランス人が「はい、そうです」と答え、こんな理由を挙げていた。

「we had a common enemy for centuries : the English」
(私たちには何世紀もの間、「イングランド人」という共通の敵がいたから)

people who resist the English way of life and globalization, respect nature and defend its traditions
(イングランド式の生活様式やグローバリゼーションに抵抗し、自然を尊重し、その伝統を守る人たち)

スコットランドとフランスはイングランドに対抗していて、「敵の敵は友人」の理論から、彼らは 13〜16世紀まで「古い同盟」を結んでいた。
15世紀にフランスでジャンヌ・ダルクが登場したとき、多くのスコットランド兵が彼女と一緒にイングランドと戦った。
だから、百年戦争は「イギリス VS フランス」という構図ではない。

 

「クイーン・オブ・スコッツ(スコットランドの女王)」とも呼ばれるメアリ

 

スコットランドで生まれたメアリは、6歳のころにフランスへ行き、それ以降はフランスの宮廷で育てられた。
そこでフランソワと結婚し、彼がフランス王となると同時にメアリは王妃となる。
夫が亡くなると、メアリは 13年ぶりにスコットランドへ戻り、その後いろいろあって、最期はイングランドで首をはねられた。
メアリーが王家ステュアートの綴(つづ)りを「Stewart」から、フランス語風の「Stuart」へ変更したことから、フランスに対する彼女の気持ちがわかる。

歴史的に、スコットランドとフランスには共通の敵がいたから、両者の結びつきは強かった。
もし、ボクがあのとき宿で「あなたはフランス人ですよね」と言ったら、彼がどんな反応をしたか興味がある。

 

 

ヨーロッパ 目次 ③

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。