キムチをはじめ、トッポギやスンドゥブチゲ、ヤンニョムチキンなどなど、韓国料理には唐辛子が欠かせない。
唐辛子は16世紀、豊臣秀吉がおこなった朝鮮出兵で日本軍が持ち込み、韓国に伝わったという説が有力だ。
ウィキペディアの説明では、根拠が弱いと「要出典」というワードが付けられるが、この説については「1592年の朝鮮出兵の際、武器(目潰しや毒薬)または血流増進作用による凍傷予防薬として日本からの兵(加藤清正)が持ち込んだものである」と断定している。(唐辛子)
唐辛子の原産地は中南米で、1492年にコロンブスがアメリカ大陸に到達して以来、ヨーロッパ人がこれを世界各地にこれをもたらした。
日本には16世紀の中ごろ、宣教師が持ってきたといわれる。
それが朝鮮半島に伝わっただけで、日本は唐辛子の通り道でしかないから、「韓国にはわが国が伝えた」とドヤ顔で言わない方がいい。韓国側では「日本伝来説」を気に入らない人もいるから。
個人的には、15年ほど前にした韓国旅行で、現地の日本語ガイドから、朝鮮出兵で日本軍が目つぶしとして唐辛子を使ったことで、「なんだあの新兵器は!」と朝鮮軍の兵士がビックリしたという聞いて、「武器としてはかなりレベルが低いな」と思った記憶がある。
そして最近、朝鮮軍は「うんこの大砲」で日本軍を攻撃したと知った。
韓国の団体が北朝鮮に向けて、金正恩(キムジョンウン)総書記を批判するビラを飛ばすと、怒った北朝鮮は今年の5~6月に南に向けて、糞尿やゴミなどが入った大きな風船を飛ばした。
この「汚物風船」は韓国の700カ所以上に落ちて、車のフロントガラスが割れるといった被害をだす。
韓国では、この「汚物」を武器として利用していた歴史がある。
朝鮮時代(14~19世紀)、儒学者の丁 若鏞(チョン・ヤギョン:1762年 – 1836年)は、外敵に対する国土防衛について記した『民堡議』で、竹の筒に糞便を詰めて撃つ「糞砲」について書いている。
倭(日本)兵はこれに苦しめられたという。
朝鮮日報のコラム(2024/07/06)
文字通り「うんこの大砲」。身体に傷を負った倭兵は傷に入り込んだ糞毒で死に、身体が健康な倭兵も糞便を浴びせられた後は戦意を失う、というものだった。
朝鮮王朝時代には発酵させて生物兵器化…北の汚物風船に見る「人糞攻撃」の歴史
このほかにも、糞便を1年ほど寝かせて「金汁」をつくり、それで攻撃したこともあったとか。
「恐るべき悪臭と毒性を持つ朝鮮王朝版生物化学兵器」とコラムにある。
ただ、ここには朝鮮出兵と書かれていないが、丁若鏞が生きていたころ、日本と朝鮮は友好的な関係にあって戦闘はおこなわれていない。少なくとも、国と国のレベルでは。だから、倭兵に「うんこの大砲」で攻撃したのは、朝鮮出兵のことだろう。
日本軍の唐辛子と朝鮮軍のうんこ砲では、どちらの攻撃力が強かったのか?
丁 若鏞
唐辛子が日本に伝わったころ、鉄砲もヨーロッパからもたらされた。
*鉄砲伝来については、1543年に種子島に伝わったことがはじまりとされている。しかし、近年では、それ以前に倭寇勢力が、東南アジアに広まっていた火器を日本へ持ち込んだとする説が有力視されているらしい。
この火縄銃は、飛ぶ鳥を落とすほど命中率が高いと敵に恐れられ、「鳥銃」と呼ばれていた。
朝鮮軍にも「勝字銃筒」という火器があったが、鳥銃は「神」のレベルにあったため、とても対抗できなかったという。
中央日報のコラム(2021.06.04)
鳥銃の優れた威力を目撃すると、壬辰倭乱以降、朝鮮では鳥銃を神器と呼んだりもした。(中略)鳥銃は銃身が長く、射程距離と命中率で勝字銃筒を圧倒した。
【韓日中三国志】豊臣秀吉の鳥銃に圧倒された朝鮮、武器が弱ければ血の涙流す
「マジレス」をすると、朝鮮出兵では日本軍が銃を使って攻撃したことで、朝鮮軍は総崩れとなった。
壬辰倭乱(文禄·慶長の役)が起こる数年前に、対馬から朝鮮へ鉄砲を贈りました。 日本がその武器を持って侵略するかもしれないから準備しろという意味でした。しかし、当時、朝鮮最高の名将だった申砬(SIN LIP)は、鉄砲は実用的ではないとして無視し、倉庫に放置しました。
しかし、戦争が起こると、鉄砲を前面に押し出した日本軍に、朝鮮は無気力に崩れ、1ヵ月も経たないうちに漢陽(ソウル)が陥落しました。日本は鉄砲が有用な武器であることを知り、それを大量に製作して武器の先進化を成し遂げましたが、朝鮮は新しい技術を受け入れることを考えていませんでした。そんな朝鮮と日本の考え方の違いが19世紀末、20世紀初めになってからは、日本は世界の最強国の隊列に進入する結果を生み、朝鮮は世界の最貧国に落ち、日本の統治を受ける結果を生みました。
朝鮮出兵のあと、江戸時代になって朝鮮通信使が日本へ来るようになりました。
彼らは日本の各地で食事などのおもてなしを受け、お礼に漢詩をつくってプレゼントしました。それはとても素晴らしい漢詩だったそうです。
朝鮮時代は儒教的な学問を追求して、実用的な学問は発達しなかった。それで頭の中で国際情勢を勝手に理解していたから、19世紀後半、現実についていけなかったと思います。
風船爆弾って、太平洋戦争末期に実際に日本軍によって茨城県から9,000個程度が放出されて、うち約300個がアメリカ本土に到達、犠牲者6人を出しています。世界の歴史上はじめて大陸間の長距離を飛来して損害をもたらした兵器であるとのこと。(Wikipediaより)
これは本当の「爆弾」であり、汚物をまき散らすようなものではありませんでした。
いやはや、もしもそんな「汚物入り風船爆弾」なんか飛ばしたら、世界の笑いものになるところだったかも。そうでなくて良かったです。亡くなったアメリカ人には気の毒ですが。