抗日義兵はただの泥棒? 韓国人も呆れるずさんな歴史検証

 

ソウルにある「社稷壇」(しゃしょくだん、ソウルサジクタン)は、朝鮮王朝の時代に豊作を願って神に祈りを捧げていた祭壇で、国家にとって特に重要な施設だった。
しかし、それは遠い昔の話になったらしい。
知人の韓国人とそこへ行くと、

「私はソウルに住んでいますけど、初めて来ました。よくこんなところを知ってますね〜」

と感心されてしまった。

いまの韓国民にとっての「聖地」は、社稷壇の近くにある西大門独立公園だ。
ここは日本の統治時代、独立運動家が収容されていた刑務所のあったところで、現在では公園として整備され、独立運動家を記念するモニュメントや博物館などがある。
先ほどの韓国人は小学生のころ、重要な歴史教育のひとつとして、教師の引率で社稷壇をスルーしてここを訪れた。独立運動家の抗日精神について話を聞くと、韓国民として激しく心を動かされるが、そうなるとどうしても反日感情が刺激されるらしい。

西大門独立公園は日本に関係する場所だから、韓国旅行をする日本人の中にもここを訪れる人がいて、10年ほど前にボクも足を運んだ。
そこで撮った一枚がトップ画像になっている「3・1独立宣言記念塔」。
1919年3月1日、日本の統治に反対する朝鮮の人たちが集まり、独立宣言を読み上げて万歳三唱をおこない、独立を求める「三・一独立運動」がはじまった。
これは現在の大韓民国の“原点”になっているから、韓国では高く評価されている一方、同じ民族の北朝鮮では「失敗したブルジョワ蜂起」と否定的な見方をされている。
しかし、韓国民にとって三・一運動は近代史で最も重要な出来事のひとつだから、その独立精神を称えるために記念塔が設置された。

 

この公園にはほかにも、独立運動に身を投じて亡くなった人たちを追悼するための「殉国先烈追念塔」があり、毎年11月17日の「殉国先烈の日」になると、ここで記念式典が開かれる。
ここに設置されている幅40mの大きな「壁」には独立闘争の歴史が刻まれていて、尹奉吉(ユン・ボンギル)、李奉昌(イ・ボンチャン)、 柳寛順(ユ・グァンスン)、安重根(アン・ジュングン)など抗日運動の代表的な人物(義士)の像を見ることができる。
これについて、1つ“場違いなもの”があると朝鮮日報が報じた。
それは、日本に処刑された抗日義兵として知られる「殉国先烈義兵逮捕処刑像」。
独立運動家が集団で絞首刑にされているこの衝撃的なレリーフは、じつは抗日運動と関係ないものだったという。
このレリーフの元となった写真を調べると、首をつっている人たちは大韓帝国の時代に韓国の役人に処刑された強盗団や泥棒で、彼らの罪状や名前も判明している。これは日本が統治する前に起きたことで、独立運動はまだ未来の話だ。

誤解から日本への悪感情が増幅され、日本への謝罪要求につながっているというのは、日本にとっては本当に理不尽で、日韓関係にも悪影響しかない。
間違った歴史を信じていたというのは、韓国民にとってもとんでもないことだ。
塔が設置されてから32年の間、韓国の政府や国民は独立闘争で亡くなった義兵ではなく、朝鮮の庶民に被害を与えた窃盗犯や強盗犯を称賛していたことになるのだから。
朝鮮日報の記者はそれを指摘したうえで、韓国のずさんな歴史検証を非難した。(2024/09/16)

韓国の市民は、民衆を恐怖の中へ追いやった雑犯たちを追悼し、その犯罪行脚をたたえてきた可能性が高い。韓国の学界や政界が正確な史料検証もなしに独立運動史を記録してきた慣行のせいだ。

義兵なのか、盗賊団なのか…ソウル西大門殉国先烈追念塔「義兵処刑像」に描かれた義兵の実像に迫る

 

1960年代に韓国の国史編さん委員会が、この写真を検証もしないで「三・一運動の犠牲者」と決め付けたことが、現在につづく誤解の原因らしい。
記者は、「独立運動のための誇張あるいは扇動作業の結果物が、これまで検証なしに歴史的事実として断定」されてきたことを挙げ、歴史は事実に基づいて記録されるべきだと強調する。(それって当然のことでは…)
ちなみに、記事によると、日本(韓国統監府)は大韓帝国に対して、「残忍で効果もない公開処刑を廃止せよ」と勧告していた。

「殉国先烈」とは、独立運動をして国のために亡くなった(殉国した)人を指す。
柳寛順や安重根はその代表的な人物で、政府や国民がその行為や精神を記念し、称賛するのはいいとしても、「殉国先烈追念塔」でそんな国民的英雄と泥棒や強盗犯を並べ、一緒に追悼するのはコメディだ。

 

「歴史のカン違い」は最近もあった。
日本に強制連行され、過酷な労働を強いられた「強制動員被害者」のシンボルとされ、全国に立てられた像が、最近になって実はまったく関係ない日本人がモデルだったとわかり、韓国の歴史教科書から削除されたのだ。
しかし、各地に建てられた像はまだ撤去されてない。

【歴史の歪曲】強制朝鮮人徴用工像のモデルは日本人だった

日本の加害性と自国の被害性を強調したいという思いが強くあり、ずさんな史料検証で歴史を断定してきたから、いまになってこんなことが起きてしまう。
間違った歴史から反日感情が生まれ、日韓関係が悪化したというのはまったく笑えない。
それでも、「聖域」をファクトチェックの対象にして、歴史の真実を明らかにするようになったのは良い傾向だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。