2月7日は呂布さんの命日だった。
英雄豪傑が大渋滞している三国志の中でも、関羽・張飛・劉備を同時に相手しても負けなかった呂布の強さは次元は違う。そんな彼も最後は下邳の戦いで曹操に敗れ、199年2月7日に処刑され、この世を去った。
まさに「巨星、墜つ」。または、「呂布、おつ(かれさま)」。
現在の内モンゴル出身の呂布奉先
三国志は日本と中国でとても有名だから、この英雄物語から日中の価値観の違いも見えてくる。日本の三国志系のゲームでは、いつもチート級の強さを持っている呂布は大人気で、彼を使いたがるユーザーはとても多い。中国のゲームでも、呂布のキャラ設定は同じだろうけど、彼が人気かどうかは分からない。
一般的に、母国で呂布は嫌われ者だ。彼は主君だった丁原を殺し、次に仕えた董卓も殺害し、三国志の世界では裏切り者の代名詞になっている。
中国では儒教の影響が強いため、二度も主君を裏切った呂布にはとてもダーティーなイメージがあり、それは「三姓家奴」という言葉に表れている。彼は丁原や董卓を義父としたため、名字を丁氏や董氏に変えた。それに加え、呂氏の3つの姓を持つ彼は三つの家の奴隷として罵倒され、軽蔑される存在になったのだ。
中国のネット辞書『百度百科』にはその項目が作られていて、こんな説明がされている。
「三姓家奴」という蔑称は、気まぐれで不誠実で、盗賊のような悪者に仕える人間を意味し、特に呂布を指す。わが国の伝統的な文化価値観である忠義、義理、孝行の正反対の表れの一つである。
特指吕布。意在讽刺反复无常,不忠不义,以身侍贼的人。(中略)是我国传统文化价值观中“忠、义、孝”的反面体现之一。
いっぽう、日本では約二千年が過ぎた今でも、呂布の命日になると SNSでこんな哀悼の言葉が投稿される。
「呂布、陳宮、高順の命日(旧暦198年12月24日、新暦199年2月7日)ですね。後、おまけで陳羣の命日ですね。 彼等の冥福を祈りましょう。」
「2月7日は”呂布”様の命日だそうです。」
「呂布の命日だというので(西暦だと2月7日らしい)、陳羣イラストのリクエストを受け付けます。」
「私達の中に呂布は生き続けています。」
中国人の価値観からすると、「三姓家奴なのに、なんで日本ではこんな“愛されキャラ”になっているんだ?」と不思議に思うかもしれない。
ちなみに、2月7日は聖徳太子の誕生日だ。彼は574年のこの日、今の奈良県明日香村で生を受けた。
呂布は処刑された後、あの世とこの世のはざまで自分の生き方を後悔していると、神様が現れてワンチャンもらって、日本の聖人として生まれ変わったというラノベがそのうち出る予感。
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