日本で一番重要な祭りは、秋に行われる神嘗祭(かんなめさい)と新嘗祭(にいなめさい)の2つの収穫祭だと考えている。
というのは、日本の歴史を見ると、国家の安泰や国民の健康的な生活の土台はお米の収穫にかかっていて、ある程度の米さえ取れたらあとは何とかなるから。そうでなければ最悪のケース、江戸時代の飢餓のように、人が人の肉を食べる地獄が発生するかもしれない。
その事情は海外も同じだから、豊作を祈願したり、感謝したりする祭りは特に重要とされていた。
神嘗祭は、その年に収穫された新穀(米を中心とする穀物)を伊勢神宮の天照大御神にささげ、その恵みに感謝する祭りのこと。伊勢神宮では、一年で 1500回ほど行われる各種祭りの中でも、最も重要な祭りが神嘗祭とされている。そのことは、伊勢神宮HPの「神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われていると言っても過言ではありません」という記述を読めばわかる。(神嘗祭)
新嘗祭は神嘗祭の約1カ月後、11月23日の勤労感謝の日に行われる。これは、その年に収穫されたお米を天皇が召し上がり、神々に豊かな恵みに感謝し、国民の繁栄を祈るというものだ。
両者を簡単に比較すると、こんな感じになる。
神嘗祭
・伊勢神宮で行われ、天照大御神に新穀をささげる。
新嘗祭
・宮中や各地の神社で行われ、日本のすべての神々に新穀をささげる。
天皇が新穀を神とともに召し上がる。
目的はどっちも同じで、豊かな収穫を神に感謝し、国家の安泰や国民の幸福を願うことにある。
北京にある天壇
明・清時代、皇帝はこの敷地で天に豊作を祈る儀式を行っていた。
日本の大学で学ぶ2人のパキスタン人留学生(どちらも♂)と会って話をしたので、これからその模様をお届けしよう。
ーーということで、日本では秋に行われる2回の収穫祭が最も重要な祭りだと思うのだよ。
パキスタンで一番大切なイベントってなに?
それはイスラム教の祭り「イード」で、これも年に2回ある。これは全世界のムスリム(イスラム教徒)に共通することだ。
*イードはアラビア語で「祝い」や「祭り」の意。
イスラム教の神聖な月、ラマダンが始まると信者は断食をしないといけない。そのラマダンが終わると、断食から開放されることを祝って、イード・アル=フィトルが行われる。
私たちはイードのとき、新しいきれいな服を着て、モスクへ行って無事にラマダンが終わったことをアッラーに感謝する。そして、友人や家族と会って、ごちそうやスイーツを腹いっぱい食べるんだ。このイードの目的は断食のご褒美だね。
日本のお年玉のように、子どもたちがお金をもらうもあるんだ。
ーーことしは、今度の土曜日からラマダンが始まる(2月28日〜3月30日)。日本で断食をするの大変? それと、イスラム教徒が断食をする目的ってなに?
日本では涼しい時期とラマダンが重なるから、私にはパキスタンよりも楽だね。
イスラム教では平等がとても重視されている。あえて食べ物を断つことで、ふだん満足に食べ物を手に入れることができない、貧しい人の気持ちを理解することができる。これはイスラム教徒にとって本当に重要なことなんだ。
ーーなるほど。宗教の要素を抜きにして、そのシステムは日本の政治にも必要かも。政治家も苦しい生活をする人たちの気持ちがわかるように、1年の中で1カ月間、2万円以内の食費で暮らしてもいい。
もう一つは、イード・アル=フィトルの約2カ月後にある「イード・アル=アドハー」という祭りだ。これは、アブラハムの神への信仰の強さをたたえるために行われる。
「イサクの燔祭(はんさい)」の話は知っているか?
ーーも、もちろん。でも、それを説明するのは、君たちイスラム教徒のほうがふさわしいだろうね。
アブラハムは高齢になってから、やっと息子のイサクを授かった。しかし、ある日、神は彼に自分への生贄としてイサクをささげよと命じる。アブラハムが絶対神に対して、「だが断る!」なんて言えるわけもなく、言われたとおり、息子を殺すことを決意する。
そして、祭壇の上に息子を乗せ、刃物を振り上げて息子の命を絶とうとした瞬間、天使が現れてその行為を止める。周囲を見回すと、神から与えられた羊がいたから、アブラハムはそれを息子の代わりに生贄にした。
ーー神に命じられたら、愛する息子さえ殺す。まぁ実際には、そんなウツ展開にはならなかったけど。その純粋で強い信仰から、アブラハムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の世界では理想的な信者として称賛されている。
で、イード・アル=アドハーでは羊や牛をアッラーへささげて、改めてアブラハムの信仰の強さや神への絶対服従の大切さを思い出すってこと?
いや、そうじゃない。
ーーは?
アッラーへの信仰を示すことは重要で、そのために牛や羊を屠(ほふ)ることはする。
でも、イード・アル=アドハーではアッラーに祈るをささげることはあっても、家畜をささげることはない。アッラーはそれを必要としていないし、そんなことをしても喜ばないから。アッラーは貧しい人たちに肉を配ることを望んでいるから、私たちはそれをするだけだ。
ーー神にささげ物をしないというのは、神道の祭りと決定的に違うな。
パキスタンでは、日本みたいに収穫祭をすることはない?
ラマダン月には断食をしたり、年に2回のイードを祝ったりして、イスラム教徒としてのルールをしっかり守って生活していれば、アッラーは豊かな収穫を与えてくれるからね。
ーーなるほど。
パキスタンでは、2011年にイード・アル=アドハーで約 750万頭の動物が犠牲にされたという。解体された肉は通常3つに分けられ、家畜の所有者である家族、友人や親戚、そして貧しい人々に3等分する。
その目的は、すべてのムスリムが肉を食べられるようにすることにある。
for family, for relatives and friends, and for poor people. The goal is to make sure every Muslim gets to eat meat.
神道の行事では、ここまで貧しい人への配慮や平等を意識したものは無いと思う。だがしかし、パキスタンやサウジアラビアなどイスラム圏の貧富の差はすさまじく、社会的な平等なら日本のほうが行き渡っている。
コメント
コメント一覧 (2件)
> 神道の行事では、ここまで貧しい人への配慮や平等を意識したものは無いと思う。だがしかし、パキスタンやサウジアラビアなどイスラム圏の貧富の差はすさまじく、社会的な平等なら日本のほうが行き渡っている。
私もそう思います。おそらくですが、社会的な不平等が著しい国ほど、そのことを戒める宗教的な教えが強くあるのでは? でも、神様からどれほど厳しく諫められても、信者たちの考え・行動は変わりないようですね。それはイスラム教に限った話ではありませんけど。
日本のアニメが放送されると、発砲シーンがカットされます。
アメリカでは乱射事件が多く、銃規制が厳しいのでそうなります。でも、日本で銃を使った犯罪は本当に少ないので、発砲シーンが問題になることはありません。
社会的に強調されていることは、問題の深さの裏返しでしょうね。