カンボジア人にとっての「P・P」 1970年代に起きた大虐殺

「カンボジア人が『P・P』という文字を見たら、プノンペンかポル・ポトを連想します」

15年ほど前、カンボジアを旅行していたとき、お世話になった日本語ガイドからそんな話を聞いた。プノンペンはカンボジアの首都で、ポル・ポトは悪魔の名前だ。

1976年のきょう5月13日、ポル・ポトがカンボジア(民主カンプチア)の首相に就任し、カンボジアの人々にとっては「地獄」が始まった。

 

処刑場では、犠牲者の衣服や骨が露出していた。

 

ポル・ポト政権は完全な平等を追求するため、社会を一度「リセット」し、原始時代に近い状態にしようとした。そのため、学校、病院、工場、銀行は閉鎖され、お金(通貨)も廃止された。
私有財産はなくなり、宗教は消え、国民はポル・ポト政権の言うことを聞くだけの「奴隷」となり、みんなが黒い服を着て、粗末な食事で重労働(主に農業)を強制された。子ども、病人、お年寄りも容赦なく過酷な労働をさせられ、多くの国民が飢餓や栄養失調、過労などで命を落とした。ある意味、結果の平等だ。

さらに、ポル・ポト政権は反政府的な人物やスパイと見なした人を次々と殺害する。政権は国民に教育を受けさせず、命令に従うだけのロボットのような人間を理想としていたため、知識や教養のある人間は邪魔者として排除(虐殺)された。メガネをかけているだけで「知識人」と見なされ、処刑の対象となった。

全国各地の農村では、ポル・ポト政権に属する組織の幹部たちが、自分が嫌う同じコミュニティのメンバーを拷問して殺した。多くの幹部は犠牲者の肝臓を食べ、母親から胎児を取り出してお守りにしたという。

Across the country, peasant cadres tortured and killed members of their communities whom they disliked. Many cadres ate the livers of their victims and tore unborn fetuses from their mothers for use as koan kroach talismans.

Pol Pot

 

1975年から1979年にかけて、ポル・ポト政権下で「カンボジア大虐殺」が起き、150万人〜200万人が死亡したと推定されている。
1978年、ベトナム軍の侵攻によりポル・ポト政権は崩壊し、この悪夢が終わった。しかし、そのトラウマは残り、『P・P』という文字を見て、思わず震えるカンボジア人もいる。

 

処刑場で掘り返された大量の人骨

 

 

東南アジア 「目次」

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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