北海道にある根室市は東経およそ146度、沖縄県の与那国町は東経約122度に位置している。経度は1度変わるごとに4分の時差が生まれるため、24度違う根室市と与那国町では96分の時差があることになる。
同じ国内なのに地域によって独自の時間帯があって、時差が生まれると面倒くさいから、現在は世界的に首都の時刻に合わせている。ロシアやアメリカのような大国では、それでは逆に不便になるため、国内に複数の時間帯が設定されている。
しかし、それは現代の話で、昔の人々は国内に時差があっても困ることはなかった。江戸時代まで日本では、時刻はだいたい日の出から日の入りまで、1刻(約2時間ごと)に進んでいたから、たとえば江戸と九州では時刻が微妙に違っていたのだ。
時間は日の出から始まり、夏は冬より昼の時間が長かったので、江戸時代の日本は今でいうサマータイムを使っていたことになる。
世界的に地方によって時間が違うことはあったが、文明が発展すると、そんな時間感覚は通用しなくなった。
以前はイギリスをはじめヨーロッパの各国では、町や都市が子午線に基づいて独自の時間を定めていた。それを「地方平均時」という。それでも、たいていの国では、移動した先の時刻に合わせるだけでよく、現在のように日本から外国へ移動した際に発生する時差ボケに悩まされることはなかった。
しかし、鉄道が敷かれるようになると、地域ごとに時間が異なることで混乱が生まれ、事故が増えて困るようになった。アメリカでは1853年、同じ軌道を走る2つの列車が車掌によって別々の時刻で運行されていたため、列車が衝突して14人が死亡する事故が発生したこともある。
そんなことで、世界で初めて鉄道を開通させたイギリスでは、1840年に標準時間が採用された。ただし、これは鉄道の運行に使われる「鉄道時間」のことで、イギリス国内でも首都と地方ではじゃっかんの時差があった。鉄道会社はそれを解消しようとしたが、地方の人々はロンドン時間に合わせることを拒否し、抵抗することもあったという。
The railway companies sometimes faced concerted resistance from local people who refused to adjust their public clocks to bring them into line with London Time.
鉄道時間(ロンドン時間)と現地時間を2つの針で示している。(ブリストル)
現地時間と鉄道時間という2種類の時間が存在していると、かなりややこしいことになる。
イギリスでは駅の構内に表示される時刻と、列車の時刻表に掲載されている時刻がズレていたというから、乗り遅れた人が続出したと思われる。イギリス全体で時間が統一されたのは、1880年になってからだ。
一方、日本ではこんな混乱はなかったらしい。
いまネットで調べたところ、明治時代に日本で鉄道が開通してから、時刻表があったものの、鉄道時間が導入されたという記録は見つからなかった。
最初から地方時間(地方平均時)が無かったか、あったとしても地方が東京の時間をすんなり受け入れたため、摩擦が生じなかったのだろう。
地方の人々が中央政府に反抗しなかったのは、日本人とイギリス人の国民性の違いを表している気がする。
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