国家の存亡を懸けた「首都防衛」
いつ時代のどの国でも、首都の防衛はもっとも重要なことだった。そこを敵軍に落とされると、国家は滅亡してしまう。
そうなると王族や貴族、市民は、財産を奪われるだけで済めばラッキーなほうで、虐殺されたり奴隷にされたりすることも珍しくなかった。
だから、首都を死守することは国家的な命題だったのだ。でも、その発想は洋の東西では大きく違う。
簡単に言うと、日本では橋を無くし、ヨーロッパでは橋を要塞化した。

江戸時代、旅行者は川越人夫にかつがれて大井川を渡った。
日本の防衛戦略「あえて橋をかけない」
江戸時代、旅行者は川越人夫にかつがれて大井川を渡っていた。
わが静岡県の島田市には一級河川の大井川が流れていて、そこには「世界一長い木製の橋」がある(トップ画像)。
最近、ハンガリー人、ポーランド人、台湾人、韓国人とその「蓬莱橋」へ行った。
そのとき日本の歴史について、彼らが意外に感じたが、理由を聞いて深く納得したことがある。
それは江戸時代、大井川には橋がなかったことだ。
もちろん、当時の日本には橋を建設する技術はあったが、幕府は大井川に橋をかけることを許さなかった。
そうなると、雨が降って水かさが増すと対岸へ渡ることができなくなるから、人びとの生活は不便になり、物資の輸送も困難になる。
それでも、あえて橋を作らなかった理由が、先ほどの外国人には分からなかった。
江戸時代、幕府がもっとも警戒したのが大名の謀反だ。
そのため、それが現実に起きたことを想定し、反乱軍がスムーズに江戸へ進軍できないように、幕府は橋をかけることを禁止したのだ。
川で敵軍を足止めしているあいだに、幕府は迎撃体制を整えることができた。
これは大井川だけではなく日本国内にある大きな川に適用されたから、そこを通りたい人は船に乗るか、川越人夫にかつがれて対岸へ移動していた(川越制度)。
「首都防衛」は人類共通の重大事で、それに失敗したらどんな結果を招くか誰でもわかる。
だから、外国人は説明を聞いて、経済の発展よりも治安の維持を優先した幕府の意図がすぐに理解できた。

フランスにあるヴァラントレ橋(城塞橋)

チェコにあるカレル橋(城塞橋)
※ヴァラントレ橋もカレル橋もAIに作ってもらった画像で、細部に間違いがあるかもしれない。だから、実物の写真を見て確認してほしい。
ヨーロッパの戦略「橋を要塞化する」
ハンガリー人とポーランド人に聞くと、彼らはヨーロッパで国を守るために、意図的に橋を作らなかったという話を聞いたことがないと言う。
もちろん敵軍の進撃を阻止することはとても重要だから、中世のヨーロッパでは橋を「要塞化」したという。
まず、ヨーロッパの橋は日本の木製の橋と違って石造りで頑丈だから、日本とヨーロッパでは「橋」に対する概念が異なる。
ヨーロッパ人は橋の両端や中央に軍事施設の「塔(または城)」を建てて、戦時になると、塔の上から敵兵に弓や銃で集中砲火を浴びせるようにしていた。
そんなふうに要塞化した橋や、その近くに設置された城を「城塞橋」と呼ぶ。
中世のヨーロッパでは、川をわたる要所に橋塔(きょうとう)や外堡(がいほ)を建設し、城塞橋によって都市を守っていた。
In medieval Europe, numerous river crossings were protected by tower structures and outworks.
ビジネスで海外市場に参入する際、現地に支社が設置される。この拠点を経済上の「橋頭堡」という。
日本の歴史では、ヨーロッパのような「橋を守る砦(橋頭堡)」がなかったから、この言葉を聞いてもピンとこない人が多いだろう。
ほかにも、いざとなれば巻き上げて敵軍の進撃を止める「跳ね橋」を建設することもあった。
しかし、ヨーロッパでは橋を要塞化し、そこで敵を殲滅して都市を守るというのが一般的なやり方だ。
そこを突破されると致命的な事態を招くため、城塞橋は時間と費用をかけて造られた。
3つの巨大な塔を備えたフランスの「ヴァラントレ橋」は有名な城塞橋で、これはイギリスとの戦いを想定して70年かけて建設された。
また、チェコの首都プラハにある「カレル橋」も世界的に知られている。
17世紀に起きた三十年戦争のときには、侵攻してきたスウェーデン軍をこの橋塔を中心に撃退した(プラハの戦い)。

ボスニア・ヘルツェゴビナにある城塞橋「スタリ・モスト」
戦略の違いを生んだ3つの要因
橋を無くすか、要塞化するか?
「首都(国家)の防衛」について、日本とヨーロッパで戦略が分かれた大きな理由は「経済活動」に対するスタンスの違いだ。
江戸幕府は、物資や人の移動が遅れる経済的損失を受け入れてでも、治安維持と街道の統制を優先した。
それに対してヨーロッパでは、都市経済が「交易」によって成り立っていたから、橋をなくして物流を止めるという選択肢はなかった。
それに、橋を通る通行人や商人から「通行税」を取っていて、それが重要な資金源にもなっていた。
2. 地形の違い
それに、日本とヨーロッパでは地形も違う。
日本は島国で国土のほとんどが山岳部で占められていたから、もともと陸上で物資を遠くに運ぶことは難しかった。
だから、江戸時代には菱垣廻船や樽廻船などの廻船(貨物船)が建造され、西廻り航路や東廻り航路も確立して海運が発達した。
ヨーロッパには平地が多く、とくに内陸にある国ではこの発想はあり得ない。そこでヨーロッパの人々は、関所と要塞の機能を橋に合体させたのだ。
そして平時は税金を取り立てる経済の拠点とし、戦時は都市を守る盾とした。合理的な戦略だ。
3. 河川の性質
さらに言うと、ヨーロッパと日本では川も違う。
明治時代に来日したヨーロッパの土木技師が日本の川(常願寺川)を見て、流れの激しさに驚いて「これは川ではない。滝だ!」と言ったという話がある。
日本では山が多いから、平地をゆったり流れるヨーロッパの川とは違うのだ。
橋を無くすか、それとも軍事施設にするかという戦略の違いは、そんな自然環境の違いから生まれたのだ。
だから、現在のヨーロッパ人には、日本で橋をかけなかった理由がわかりにくい。
反対に日本人がヨーロッパの橋を見ると、「なんでこんなゴツいんだ?」と疑問に思うだろう。

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