アメリカの政教分離:キリスト教は宗教ではなくて伝統や文化?

 

はじめの一言

「日本の子供が、怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆくのは、見ていてほんとうに気持ちのよいものです。(フレイザー 明治時代)」

「日本絶賛語録 小学館」

 

 

今回の内容

・「聖書の誓い」は、政教分離に反しないの?
・アメリカとキリスト教・宗教?それとも伝統?

 

・「聖書の誓い」は、政教分離に反しないの?

「政治家による靖国神社参拝は、政教分離の原則に反してはいない」

そう考えている人がその根拠として、「アメリカでは、聖書の誓いが問題になっていない」という点をあげることがある。

アメリカのように政教分離をうたっていながら、大統領や知事就任式のときに聖書に手をのせ神に誓いをたてることは問題になったことは一度もない

(ウィキペディア)

今回の記事では、靖国神社の参拝問題については書かない。
それは、下の記事で書いたから。

日本での政教分離の問題:国家神道と政治家の靖国参拝

 

ここでは、ウィキペディアの記述にあった「アメリカでの政教分離」について書いていきたい。

 

 

先ほどのウィキペディアに書いてあったことが、ボクには前からすごく不思議だった。
なんで大統領が聖書に手をのせて神(God)に誓うことが、政教分離の原則に違反しないのか?

このことを何度かアメリカ人にたずねたことがある。
すると、こんな答えが返ってくることが多い。

「あれには宗教的な意味合いはないから、政教分離の面では問題はない。伝統的な儀式としてしているだけ」

いろいろなアメリカ人から話を聞いていて思ったのは、こんなこと。

 

アメリカという国の社会には、キリスト教が複雑にからみあっているから、アメリカの伝統や習慣からキリスト教の要素を取り除くことはできないんじゃないの?

 

・アメリカとキリスト教

2016年9月1日の朝日新聞デジタルの記事で、「縄文人の核DNA初解読 東アジア人と大きく特徴異なる」というのがあった。

縄文時代に日本列島で狩猟採集生活をしていた縄文人の遺伝的特徴は、東アジアや東南アジアの人たちとは大きく離れていることがDNA解析でわかった。縄文人のルーツを考えるうえでの手がかりになりそうだ

日本の場合、はるか昔から日本列島に縄文人が住んでいて日本という国ができている。
国の成り立ちが、自然発生的な要素が多いと思う。

 

でも、アメリカは違う。
アメリカは、とても人工的につくられている。

たとえば、「聖書で読むアメリカ ( 石黒マリーローズ)」には、アメリカという国は、「聖書の原則に則(のっと)って建国された」とある。

アメリカの建国者である合衆国憲法制定者たち(founding fathers)は、聖書の原則に則って建国しました。 聖書がこの国の基礎の重要部分です。多くの学校では聖書を教科書にして、歴史や文学などを教えているほどです。

 

こんなアメリカという国では、政治にもキリスト教の影響がよく見られる。

大統領候補者は、とにかく、イエス・キリストのことをあまりに多く話すので『政治家か説教者か(the politician from the preacher)か識別し難い者がいる』とまで言われています。

アメリカのモットーは、「One Nation Under God(神の下にある一つの国家)です。祈祷朝食会(Prayer Breakfast)というのは、アメリカの大統領が神をその生活の中心に置く機会です。

上院礼拝堂付牧師(Senate chaplain)が開式のはじめに祈りをし、上院議員たちで賢明な選択をするよう注意することが慣例となっています

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・宗教?それとも伝統?

アメリカでのキリスト教の影響は、政治だけではなくて日常生活でも見られる。
海外旅行をしていて、アメリカドルを使うときにそんなことを感じる。
アメリカの1ドル札には、「IN GOD WE TRUST」と書いてある。

 

この「GOD」というのは、キリスト教の「神」のこと。
お札にこんなことを書くというのは、日本では考えられない。
アメリカドルを使うのは、キリスト教徒だけじゃないはず。
なんで、GODという言葉を使うのか?

でもアメリカ人にきくと、これもキリスト教とは関係ないという。

「それはアメリカの建国精神をあらわした言葉。もう今では宗教的な意味合いはなくなっている」

結局アメリカでは、キリスト教が政治・教育・日常生活にあまりに深く根づいていて、それが習慣や伝統になってしまっている。

つまり、大統領の就任式で聖書に手をおいて神に誓おうとも、ドル札に「IN GOD WE TRUST」と書いてあろうとも、それは宗教ではなくてアメリカの伝統でありアメリカ人の精神というものなんだろう。

だからアメリカ人からしたら、こうしたことは政教分離の原則には反しないと考えているのだと思う。

 

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ちなみに、ニューヨークに住んでいるアメリカ人からこんな話を聞いた。

最近、イスラーム教徒のアメリカ人が弁護士になった。
アメリカで弁護士になるときも、聖書に手をおいて神に誓っている(例外もあるらしい)。
でも、その弁護士はイスラーム教徒だ。
だからキリスト教の聖書に手をおいてGODに誓うことはできない。
そのため、イスラーム教の聖書クルアーン(コーラン)に手をおいてアッラー(神)に誓ったという。

 

こういうことは、日本の社会では想像できない。
さすが、多民族・多宗教国家のアメリカだ。

 

おまけ

藤原正彦氏が週刊新潮のコラム「管見妄語」で、アメリカの政教分離について書いていたから、それものせておく。
氏によると、アメリカの政教分離はそれほど厳しくないという。

実はアメリカではそれほど厳格ではない。証言とか大統領就任の宣誓では聖書に手をおいて「So help me God(神に誓って)」と言うし、軍隊や議会には聖職者がいる。硬貨には「我らが神を信ず」と彫ってあるし、クリスマスは国の休日だし皆でメリー・クリスマスと言い合う。
国家とキリスト教は一体となっている。アメリカでの政教分離とは、特定の教派を優遇したり迫害しないということである。
心境の自由を保障するためだ。イギリスも同様だ。日本も政教分離をその程度にゆるめた方がよい。

「痛ましげ光景 週刊新潮 10月27日号」

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。