いまラグビーW杯が日本で絶賛、開催中。
それで世界の注目が試合だけではなく、ホスト国の日本にも集まっている。
海外メディアの報道を見ると、日本の人や社会に好印象を持つ外国人は多いようだ。
日本人は礼儀正しくて地下鉄や電車の中では携帯電話を使わないし、レストランで大きな声で話すこともない。
公共の空間ではまわりの人に配慮して静かにすごしている。
日本の清潔っぷりは世界的に有名で、人口約1600万人の東京でさえ路上にごみが落ちていない。
でもゴミ箱がほとんどないから、困る外国人が続出しているのは事実だ。
以上のことで異論・反論はフランスAFPの記事にどうぞ。(2019/10/5)
ラグビーW杯で来日する世界のサポーター、礼儀の国・日本の勘所を学ぶ?
外国人と日本人では比較対象がちがうから、当然見方もちがう。
日本人はマナーや振る舞いで世界から高評価されることが多いけど、すばらしい価値観や思想を国際社会に提示したこともある。
つい先日、安倍首相が国会での演説でそのことに触れた。
日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。
今を生きる私たちもまた、令和の新しい時代、その先の未来を見据えながら、この国の目指す形、その理想をしっかりと掲げるべき時です。
いまの国際社会の基本原則となる「日本が掲げた大いなる理想」というのが今回のテーマだ。
第一次世界大戦の終了後、1919年に日本は戦勝国の立場でパリ講和会議に参加した。
ちなみに当時、五大国と呼ばれた国の中で白人以外の国は日本だけ。
(あとはアメリカ・イギリス・フランス・イタリア)
世界列強が一堂に集まるパリ講和会議の場で、アメリカのアフロ・アメリカン紙が「提案の進展を、全米1200万の有色の人々が注目している。」と期待をこめて書いた提案を日本がおこなった。
当時の世界では常識だった人種差別に反対し、その内容を「国際連盟規約」の中に明記するべきと主張する。
これが日本による人種的差別撤廃提案。
国際会議の場で人種差別撤廃を唱えた国は日本が世界ではじめてだ。
この提案はすばらしかったけど、画期的だった。
「人種差別撤廃」というのは現代の価値観には合っているけれど、当時の世界の常識にとっては「挑戦」だった。
だから反対意見も多くて結局、全員一致での可決が必要となり、日本の提案は否決された。
100年前でも、立場がちがえば見方も変わるのだ。
でも、日本のチャレンジはけっして無意味ではない。
この提案は日本を含んだ海外でも報道され、様々な反響を呼ぶことになる。牧野は西洋列強の圧力に苦しんでいたリベリア人やアイルランド人などから人種的差別撤廃提案に感謝の言葉を受けた。また米国内からも、全米黒人地位向上協会 (NAACP) が感謝のコメントを発表した。
ここにでてくる牧野伸顕(日本全権代表)は、反対する各国の代表団を前にして、「困難な現状にあることは認識しているが、決して乗り越えられないものではない。」と言い切った。
これは当時の国際社会には受け入れられなかったけれど、人種平等という「日本が掲げた大いなる理想は、世紀を超えて、今、国際人権規約をはじめ国際社会の基本原則となっています。」というのは事実。
人種的差別撤廃提案について、ヨーロッパに住んでいた作家のデュランれい子氏がこう書いている。
何かあるたびにフランス人は、「自分たちはフランス革命で自由・平等を勝ち取った」という話をします。そんなときに私が、「日本だって第一次世界大戦の後に、人種差別撤廃条約の提案をしたのよ」と言うと、若い学生たちは皆一様に驚きます。
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平成・令和の日本は礼儀正しさや都市の清潔さで賞賛されているけど、大正時代の日本のように、新しい価値観を国際社会に示したという話はあんまり聞かない。
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> 新しい価値観を国際社会に示したという話はあんまり聞かない。
そうですかね?
「礼儀正しさや都市の清潔さ」が文明国においては重要であるという価値観を示したことでも、新しい価値観として十分ではないですか? これこそ、平成・令和の時代に、特に若い人たちが中心となって、日本が世界に向かって示した素晴らしい価値観だと思いますが。
ラグビーを日本へ見に来ている外国人も、文明国人の一人として、そのような価値観をぜひ日本で学んでいってほしいものです。街にゴミを捨てるな。
結局は、思う/思わないという主観になりますが、「礼儀正しさや都市の清潔さ」の重要性はどこの国の人でも知っていたでしょう。
電車の中では静かにする、ゴミは持ち帰るといった行為は「人種平等」といった思想ではなくてマナーだと思います。
武士道や茶道といった新しい価値観は当時の欧米社会に影響をあたえましたが(いまでも)、いまの日本はそういうことが少ないと思ったまでです。