日本文化の招き猫・ひこにゃんの由来(中国は関係ないです)

 

毎月29日は肉の日で、9月29日はラッキーな「招き猫の日」。
929を「くる・ふ・く(来る福)」と強引に読ませるチカラ技で「日本招き猫協会」が制定したらしい。
伊勢神宮の川向にある「おかげ横丁」は招き猫が有名で(上の写真)、毎年この日の近くに「来る福招き猫まつり」が行われる。

猫は農作物や蚕(カイコ)を食べるネズミを駆除してくれるから、昔から日本人にとってはラッキーアニマルだった。
それがいまでは片手をあげて、客を呼び込む商売繁盛の縁起物になっている。
ちなみに右手を上げている招き猫は金運を、左手を上げている招き猫は人脈を招くという意味があると言われる。
両手を上げた猫はその両方を招き入れるとか、それは欲張りだから何も得られないとか諸説ある。

この猫はわりとワールドワイドな存在で、海外でもけっこう知られているのだが、残念なお知らせもある。
日本にいるアメリカ人とフィリピン人と食堂に入ったら招き猫があって、話を聞いたら2人とも「ラッキーキャットは母国でも見たことある」と言う。
日本の文化が海を渡って、海外でも親しまれているなんて胸熱。
と目頭を熱くしたら、招き猫は日本じゃなくて中国の文化だと2人とも言いやがりました。

でも改めて考えると、招き猫ってホントに日本で生まれたのか?
そもそも猫は中国からきたし、招き猫も中国由来のアイテムだったら、この2人の言うことは間違いじゃない。
そんなことを思ったんで、招き猫の由来について調べたことがあるから、縁起の良い「来る福」の日にその情報をシェアしよう。

 

 

まず結論からいうと、招き猫は中国に関係なくて、日本生まれの完全なジャパニーズ・カルチャーだ。
江戸時代に生まれたことはほぼ間違いないとして、招き猫の誕生には諸説ある。
なかでも有名なもので、覚えておくといいのが東京・世田谷区にある「豪徳寺説」だろう。

江戸時代のある日、彦根藩の藩主・井伊 直孝(いい なおたか)が鷹狩りに出かけていたとき、小さな寺の飼い猫が手招きをしているのが見えた。
井伊 直孝ら一行は導かれるように寺に入っていき、そこでしばらく休憩することにした。
すると天候が一変し、とつぜん激しい雷雨となる。
「おお~、雨に濡れなくてすんだ。超ラッキー!」と思った井伊 直孝は、それを猫のおかげと考えた。
そしてこれをきっかけに、直孝はその寺を江戸での井伊家の菩提寺にしてかなりの寄付をする。
だから井伊家の藩主やその妻の墓は豪徳寺にあって、幕末の桜田門外の変で暗殺された大老・井伊直弼もここに眠っている。

井伊 直孝のお気に入りとなり、多額の寄付を受けたことで、貧相だった寺は「豪徳寺」という立派なお寺になったと。
何というか、玉の輿?
すべての始まりとなった猫が息を引き取ると、和尚は墓をつくって弔(とむら)ってあげた。
そして寺の境内には招猫堂が建てられて、猫が片手をあげている姿をかたどった招福猫児(まねぎねこ)が作られるようになる。

この「招き猫の寺」とも呼ばれる豪徳寺が、現在の招き猫の発祥地といわれている。
ほかにも今戸焼説なんかもあるんで、興味があったら調べてくれ。

招き猫と関係ないんだが、マンガ『Let’s豪徳寺! 』の元ネタはこの豪徳寺じゃないかと思うんだ。

 

彦根藩藩主の井伊 直孝(いい なおたか)
ある意味、招き猫の生みの親

 

井伊 直孝を招き入れて、雷雨から救ったという”招き猫”をモデルにして作られたのが、彦根市の大人気ゆるキャラ『ひこにゃん』だ。
あれは招き猫のボディーに、戦国時代に名をはせた「井伊の赤備え」の兜(かぶと)をかぶせて生まれたキャラクター。

詳細は本人のプロフィールにある。

ということで招き猫の由来については諸説あるものの、これは日本生まれの日本文化で間違いナシ。
日本にいる外国人には、招き猫が『ひこにゃん』の由来になったと説明すると「へ~」となると思う。

 

画像:gundam2345

 

 

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

外国人から見た日本と日本人 15の言葉 「目次」

日本人とクモ:江戸の遊女に「蜘蛛の巣文様」が人気の理由

外国人の好きな日本文化:縁起物や精霊馬としての「ナス」

反論できる?「日本人が、外国人の日本料理をインチキと言うな!」

外国人の質問「すしを食べるのは箸か素手か?」の答え

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。