日本でもプラチナ有名なドイツ人に音楽の神、ベートーヴェンがいる。
「じゃじゃじゃ」と打ち込むと自然と「ジャジャジャジャーン」が出てくるほど、彼の作曲した『運命』は日本人に知られている。
そんな日本ではいま、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』を美少女に擬人化したアニメが絶賛放送中だ。
さて、ここからは歴史だ。
それも目を覆いたくなるような悲劇だ。
ドイツには「Schicksalstag(運命の日)」といわれる、偶然だけど、それだけでは済まないようなちょっと不思議な日がある。
20世紀のドイツの歴史をみてみると、その前後で社会が大きく変わるような重大事件がなぜか11月9日に起きているのだ。
そんな「運命の日」の具体例がこれ。
1918年11月9日 :ドイツ革命が起こって皇帝ヴィルヘルム2世が退位し、ドイツ共和国が誕生。
1923年11月9日 :ナチスが8日にミュンヘン一揆を起こす。が、翌日9日鎮圧されて、逃亡したヒトラーは2日後に逮捕された。
1938年11月9日:ドイツ各地でユダヤ人をねらった暴動が一斉に発生した(水晶の夜)。
そして最後は1989年11月9日、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊。(撤去作業は翌10日から)
「運命の日」の4つの出来事のうち、ミュンヘン一揆と水晶の夜には「ナチスとヒトラー」という暗黒の共通点がある。
ここでは「水晶の夜」を取り上げようと思う。
600万人ものユダヤ人を虐殺して、ドイツの歴史に消えない汚点を残したナチスのホロコースト、それにつながる大きなきっかけとなった事件だ。
「水晶の夜」は文字だけ読むと、なんかキラキラしたロマンチックな夜のようだけど、現実には血と暴力と殺戮の夜のことを指す。
その夜がやってくる前のドイツの状態はこうだ。
人種差別主義者だったヒトラーやナチスは、ドイツ国内にいたポーランド国籍を持つユダヤ人をすべてポーランドへ追い出したいと考えていた。
それでドイツ警察が1万7000人ものユダヤ人を無理やりトラックや列車に乗せ、ポーランドとの国境地帯へ移送する。
でも、ドイツと同じぐらい反ユダヤ主義的だったポーランドは国境を封鎖。
どちらからも受け入れを拒否されて、行き場をなくしたユダヤ人たちには家も食料もなく、飢餓地獄から大量の餓死者が出た。
この惨状を知って激怒したポーランド系ユダヤ人青年のヘルシェルは、ドイツ大使館員を殺害して世界にユダヤ人の現状を訴えることを決め、1938年11月7日にそれを実行する。
ドイツ大使館員ラートを銃殺したヘルシェル
ヘルシェルに撃たれたラートは11月9日の午後4時30分に死亡する。
その一報を聞いたヒトラーは、「SA(突撃隊)を解き放つべき時がやって来た」と言ったという。
その日の夜、ドイツ各地で反ユダヤ主義者が一斉に襲いかかる。
シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝施設)やユダヤ人の家や商店、企業のほか、ユダヤ人が住んでいた地域の墓地、病院、学校などを破壊しまくった。
暴動中、ユダヤ人は殴られたり、辱められたりした。運の悪い者はそのまま殴り殺された。少なくとも96人のユダヤ人が殺害されている。『我が闘争』を朗読させられたり、『ホルスト・ヴェッセルの歌』を暗誦できるまで歌わされた者、果ては強姦されたユダヤ人女性もいた。
暴徒による略奪や虐殺、放火をドイツ警察は傍観し、ユダヤ人以外の建物に燃え移りそうになったときだけ、消防隊は消火活動を行った。
この事件で3万人ものユダヤ人が警察に逮捕され、ダッハウ強制収容所などへ送られた。
ヨーロッパの歴史上、「国のない民」であるユダヤ人はこんな一方的な迫害を何度も受けている。国民を守る国家がないと、こういうことが起こる。
一方、ユダヤ人女性をレイプした人間は「ドイツ人の血と名誉を守る法律」の「人種汚辱罪」、つまりドイツ人の“純潔”を汚した罪で処罰された。
それでも、ユダヤ人を助けたドイツ人の勇者がいたことだけが救いか。
襲撃されたユダヤ人の店
暴徒によって破壊された店のガラスが路上に散乱し、それが月明かりを浴びてキラキラと輝いていたことから、のちに「水晶の夜」と呼ばれるようになった。
ただこんなキレイな表現だと、大量のユダヤ人の死体や流れ出た血を忘れてしまいそうになる。
この事件からナチスによる本格的なユダヤ人への迫害が始まり、人類史の悲劇へつながったから、1938年の11月9日はユダヤ人にとっても「運命の日」だ。
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