きょう12月2日は「美人証明の日」。
いやいや誰がどんな基準できめた美人だよ、というツッコミは避けられない日。
栃木県足利市にある厳島神社で、2006年12月2日に市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の分身として、美人弁天が建てられたことにちなんでこの記念日が制定されたとか。
日本で唯一、美人を証明するお守りの「美人証明」を発行している美人弁天によると、ここでいう「美人」とは外見的な美しさではなくて、全ての女性が持つ「心のやさしさ」を指す。
四方八方からのツッコみを受け流すには、こういう誰にでも当てはまって、誰にも確認できないような「美人」になるわな。
さてこの美という漢字の語源を、漢文学者の白川 静氏は「羊」と「大」からなる「羊の全形」と解釈した。
神への生贄(いけにえ)や捧げものにふさわしい、成熟した羊が古代中国人にとっての「美」だったという。
つまりは肉付きがよくて、美味しい羊のことか。
その中国では最近、クリスチャン・ディオールが「美しい中国女性」の写真を公開したところ、それは中国人の美意識に反したものだったから、「女性を意図的に醜く見えるようにした」といった批判が殺到。
くわしいことはこの記事を。
美人というのは主観だから、ある人にとっては美しくても、別の人からは醜く見えることもある。
これは中国の博物館にあった隋か唐の時代の人形で、ガイドの説明によると、1000年以上前の中国人は長い髪で丸みを帯びた頬(ほお)をもつ、健康そうな女性を「美しい」と考えていたという。
「羊の美」の影響がまだあったのかも。
そんな中国人ガイドの話を聞いて思ったのが、「平安美人ってこんな感じでは?」ってこと。
平安時代の日本人が考えた美人とは、艶(つや)やかで長い髪と細く涼しげな目があって、色白でふっくらした頬をした女性だ。
どうもこの美的センスは唐の影響を受けているような。
絶世の美人と評判の小野小町の絵には、昔の日本人がもっていた「美人」のイメージが集約されているだろう。
新庄監督なら「ヤセない?」って言いかねない平安美人
現在の日本人の価値観だと、数百年、千年前の美人を美しいと思うかどうか。
顔に白粉を塗るのはいいとして、歯を黒く染める「お歯黒」にはドン引きするはずだ。
いまの日本ではパッチリ開いた大き目なが好まれると思うけど、戦国時代にやってきたヨーロッパ人フロイスの記録を見ると500年ほど前の日本人の美意識は違った。
「ヨーロッパ人は大きな目を美しいとしている。日本人はそれを恐ろしいものと考え、涙の出る部分の閉じているのを美しいとしている。」
江戸時代の日本人が思い描いた「美人」も大体こんな感じ。
大きな目を美しいと感じるようになったのは、日本に欧米の文化や価値観が広く浸透した大正時代のころからだ。
欧米の影響を強く受けて、白人に近い顔立ちが美人とされ、白人の特徴であるブロンドや茶髪、大きな眼や碧眼(青い目)、薄い唇、高い鼻、スマートな体型などが憧れの対象となった。
「美しい」と感じるのは見る人の主観だから、その条件は時代によって変わっていく。
現代では「美」は多様化していて、ショートカットや大きい目や細い目、ぽっちゃり系や細目の体形でもいろんな美人がいる。
だから美人の定義はむずかしい。
最大公約数的に、誰からもツッコまれない「美人」となると、外見ではなくて内面の美しさというあいまいでツマラナイものになる。
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