2022年の「立春」は2月4日からハジマタ。
寒さのピークである「大寒」が終わって、二十四節気の春はもうスタートしている。
といっても6日の今日は温暖な静岡でも雪がパラついたし、日本海側では広い範囲でドカ雪が降ってるから春の陽気はまだまだ遠い。
大雪といえば先月の1月6日~7日、関東で雪が降り積もり、東京23区には大雪警報が発表されて、国土交通省と気象庁は不要不急の外出は避けるよう呼びかけた。
都心では積雪が10センチに達したことから、SNSで都民が悲鳴を上げたから(歓喜の声もあり)、転ばない歩き方を伝授する人もいれば、こんな「上から目線」のモノ言いをする人もけっこう多かった。
*「トンキン」は東京の中国語読みで、都民を小ばかにするネット用語。
・テレビ観ても東京の雪の話題ばっかり
雪降っただけで注目されていいですねー
・またトンキンが死にそうになってんのか。
10センチの雪で…
・九州だけど笑う
・頭のいいトンキンは雪なんかお湯で溶かしちゃうんだろ?
・トンキンはもやしっ子だからな
すると東京人がこう反論。
・雪くらいしかマウント取れるの無いだろw
・寒い地域になるほど陰湿さが増すのはなぜなんだろう
・信号機が縦じゃねーんだよ
・カッペが都会に嫉妬
・卑しい田吾作根性だと思う
主に雪国の人による「雪マウント」はもはや現代日本の冬の風物詩。
何かあると自分基準でマウントポジションを取って、相手を冷ややかに見降ろして優越感にひたる。
そんな人間はどこにでも現れる。
昨年末、気温が12度にまで低下して「寒くて震えます!」と台湾人が投稿すると、日本人からは「アマイ!」「まだ台湾人は寒さを知らない」とコメントして冬マウントを取る日本人がいたから、その台湾人がこう書いた。
「日本人に対しては寒くないかも知れませんが、熱帯の台湾南部在住の我々に対してはものすごく寒いです。しかも、暖房器具の普及率が低いです。」
ホントかどうかしらんけど、香港では10度未満になると、低体温症で搬送されたり死ぬ人が出るというコメントもあった。
こういう地域に住む人からすると、積雪10㎝で大雪警報が発令されて、非常事態に備える”脆弱な”都民を見ると、自然とマウントをとってしまうのか。
にしても、群馬と東京でここまで違うというのは静岡県民としてはビックリ。
「雪降っただけで注目されていいですねー」と日本のどこかで誰かが言うと、「寒い地域になるほど陰湿さが増すのはなぜなんだろう」と言い返すのは、ポジティブにみれば日本の一体感の表れだ。
「いま」を見つけよう。がキャッチコピーのツイッターのあるネット時代だから、日本のどこで何が起きているのか、全国の人がリアルタイムで瞬時に知ることができる。
鈴木牧之(すずきぼくし)の生きた時代とはまったく違う。
「凡(およそ)日本国中に於て第一雪の深き国は越後なりと古昔(むかし)も今も人のいふ事なり」
江戸時代にそう言われていた越後(新潟)出身の鈴木牧之(1770年 – 1842年)が江戸に出てくると、同じ日本でも、雪国と「暖国」との残酷な違いにショックを受けた。
初雪が降ると「ヤッホーイ!」とはしゃぐ江戸の人たちとは反対に、雪国の人が初雪を見ると、これから始まる厳しい生活を思って心が重く沈んでいく。
そんな江戸と雪国の日本人を対比して、鈴木は「楽と苦と雲泥のちがいなり」と『北越雪譜』(ほくえつせっぷ)で表現した。
それを特に感じるのが、一年の中で最も華やかなお正月だ。
「元日も此雪国の元日も同おなじ元日なれども、大都会の繁花と辺鄙の雪中と光景ありさまの替(かは)りたる事雲泥のちがひなり。」
雪がなくて健脚の人なら、江戸から越後まで4日で行けるぐらいの近さなのに、正月に見える世界はまったく違う。
*江戸時代の正月は旧正月だから、ちょうどいまごろの時期。
梅の花が咲き、着飾った人たちが新年のあいさつ回りをして町がにぎやかになり、「万歳」というお祝いの声や三味線の音楽が聞こえてくる。
越後の人からすると、そんな江戸の正月は「見るもの聞(く)ものめでたき」で、まさに新春がやって来たという状態。
一方、まったく同じ日の越後では、野も里も山も田んぼも深い雪に覆われているだけだった。
「雪の中にありて元日の春をしらず」
「元旦の日も惟(ただ)雪の銀世界を照らすのみ。一ツとして春の景色を不見(みず)」
江戸をはじめ太平洋側にいる人たちは暦どおりの正月の春を楽しんでいるのに、雪国の人間にはそれができない。
雪が家より高く積もるから、日光を家の中に取り込むには、まずは雪を取り除かないといけない。それでも薄暗い家の中で正月を迎える。
同じ日本でもまさに別天地。
華やかな正月を楽しむ江戸の人たちと自分たちを対比して、鈴木はこう書いた。
「春を楽(たのし)む事実に天幸の人といふべし。」
「雪国の人は春にして春をしらざるをもつて生涯を終る。」
「越後はさら也、北国の人はすべて雪の中に正月をするは毎年の事也。かゝる正月は暖国の人に見せたくぞおもはるゝ。」
江戸に来てから、鈴木が驚いたしショックだったのは、江戸の人たちが越後のことを知らなかったこと。
一体どれだけの雪が降って、雪国の人たちがどんな生活を送っているのかについて、江戸の人間はあまりに無知だったから(たぶん関心がない)、彼は地元を知ってもらおうと『北越雪譜』を書くことにした。
雪国での生活は、「暖国」に住む人にはまったく想像できないものだと鈴木は何度も強調する。
まさか越後の人間が暖国の人に、「マウント」をとれる日がくるなんて夢にも思わなかったはず。
「雪降っただけで注目されていいですねー」と誰かがつぶやくと、「寒い地域になるほど陰湿さが増すのはなぜなんだろう」という返事が返ってくるのは、いまの日本人はどこにいてもリアルタイムで情報を共有できるから。同じ景色を見ることができるからだ。
日本人がこんな統一感をもったのは、神武天皇の即位から歴史が始まって以来、初めてのこと。
こういう時代に住んでいたら、鈴木牧之が「楽と苦と雲泥のちがいなり」と嘆くことはなかったハズ。
(江戸時代はお互いまったく別の世界に住んでいて、接点がなかったから、いがみ合うこともなかったワケだが。)
いまの日本で、都民を「天幸の人といふべし」とまで羨(うらや)む人はいないだろう。「トンキンはもやしっ子だからな」と鼻で笑う人はいても。
いろんな立場や観点から、マウントを取り合えるいまの日本は平等で平和だ。
蓑(みの)を身に着け、かんじきを履いた男性。
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