【騎士道精神】ローランの歌、ヨーロッパで人気になった理由

 

ドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、スイスといった現在の西ヨーロッパとほぼ同じ領土を統一して、大帝国を築いた傑物がカール大帝。
800年にローマ皇帝レオ3世によって戴冠されて、神聖ローマ帝国の初代皇帝となったこの人物は、いまでは「ヨーロッパの父」なんて呼ばれている。
カールはドイツ語読みで、フランス語ではシャルルマーニュと言う。
英仏が奪い合うような大英雄について、このまえ記事を書きました。

西ヨーロッパの父:偉大すぎて、独仏が取り合うカール大帝

 

シャルルマーニュ大帝を取り上げたんで、今回はそのスピンオフ。
高校世界史で必ずならう「ローランの歌」を取り上げよう。

 

 

熱心なキリスト教の信者だったシャルルマーニュにとって目障りだったのが、イベリア半島(スペイン)がイスラム教徒に支配されていたこと。
それで788年、彼は軍を率いてイベリア半島へ攻め込む。
これはキリスト教のためにイスラム教徒と戦う十字軍の遠征であり、イベリア半島を取り返すレコンキスタでもあった。
でも、イベリア半島を奪回することはできず、シャルルマーニュの軍はフランスへと引き返す。

その帰路、スペインとフランスの境にあるピレネー山脈で事件が起こる。
略奪が目的かそれとも恨みがあったのか、山岳民族のバスク人がとつぜん襲いかかり、シャルルマーニュの軍は大混乱になった。
こうして「ロンスヴォーの戦い」が始まる。
このときシャルルマーニュのパラディン(ハイランクの騎士、聖騎士)のローランが軍の最後尾にいてバスク軍と戦い、

「王よ、ここはわたしが食い止めます! あなたは先に行ってください!」

と死亡フラグを立てた。(たぶん)
とにかく殿(しんがり)にいたローランは勇敢に敵と戦って、戦場で命を落とす。
忠臣が犠牲になったおかげで、シャルルマーニュは無事に国へ戻ることができた。
ここまでは歴史の事実。
ちなみにローランを英語読みにすると「ローランド」になる。

 

ローラン、ロンスヴォーの戦いで死す

 

この「ロンスヴォーの戦い」が元ネタになって、11~12世紀にフランス最古の武勲詩「ローランの歌」がつくられた。
ヨーロッパのキリスト教徒が聞いておもしろくなるように、「ローランの歌」では設定が大幅に変えられている。魔改造と言っていい。
まず、バスク軍が40万人のサラセン(イスラム教徒)軍に拡大する。
そしてシャルルマーニュの軍とバスク軍との小競り合いぐらいの戦闘が、「キリスト教徒 vs 40万のイスラム教徒」という大決戦となった。
さらに「聖剣デュランダル」とか「ローランの角笛」とか、中二心をくすぐる魅力アイテムを登場させる。
聖剣デュランダルとは、天使がシャルルマーニュに渡して、そのあとローランに授けられた伝説的な剣だ。
いくら何でも盛り過ぎ。

ローランの角笛を吹けば援軍が駆けつけることになっていて、敵の大軍が近づいてきたのに、パラディン(聖騎士)であるローランの誇りがジャマして笛を吹けなかった。
ローランを含め12人のパラディンが鬼神のはたらきをして、洪水のように襲ってくる敵を倒しまくる。
でも多勢に無勢の劣勢をくつがえすことはできず、味方は次々と討ち取れていき、ローランはついに角笛を吹く。
その後、ローランは大けがを負う。
死を悟った彼は王からもらった聖剣を敵に奪われないように、岩に叩きつけて折ろうとする。でも、デュランダルが岩を真っ二つに両断して折ることができなかった。
そうしてローランが死んだあと、援軍が到着してイスラム軍を蹴散らして、シャルルマーニュの軍は偉大なる勝利をつかむ。
というのが「ローランの歌」の内容でした。

 

力尽きたローランと、かたわらにころがる聖剣デュランダルと角笛

 

キリスト教徒の軍が苦戦しつつも、最後にはイスラム教徒をやっつける。
強くて勇敢で自己犠牲の精神にあふれるローランは、中世のヨーロッパ人に理想的な騎士道精神を示している。

そんな要素から「ローランの歌」は、イギリスの「アーサー王物語」のような代表的な騎士道物語となって、吟遊詩人によってヨーロッパで広く語り伝えられて大人気となった。
でも視点を変えれば、勝手に悪役にされて、十字軍の戦いで大きな被害を受けたイスラム教徒にとってはまさに大迷惑。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。