【安史の乱】楊貴妃、玄宗皇帝をトリコにして国を傾ける

 

「K国」とは隣国を表すネット用語。
ネット辞書にもある言葉だけど、良い意味では使われない。

そして「傾国」とは国家が滅亡するような危機や、それほど皇帝を夢中にさせる美人を意味する。
意味を超拡大すれば、ハニートラップを仕掛ける女性もこれに含めていいかも。
「傾城傾国(けいせいけいこく)」という中国の古い言葉に由来する「傾国の美女」で、代表的な人物といえばなんとつっても楊貴妃だ。
*傾城で「けいせい」と読むのがポイント。
きょう12月16日は755年に「安史の乱」が起きた日で、楊貴妃はこれが原因で殺されることとなる。

日本と中国は古代から関係があって、特に世界的な文明国だった唐で遣唐使がいろんなことを学び、それを持ち帰って日本を別のステージへの国へと発展させた。
712年に玄宗(げんそう)という皇帝が即位して「開元の治」すばらしい政治を行なうと、唐は全盛期の黄金期を迎える。
しかし、好事魔多し。
絶頂期に達した後、「安史の乱」が始まるとジェットコースターのように暗転して、唐は滅亡寸前にまで追い込まれた。
そのきっかけは、玄宗が楊貴妃との運命の出会いを果たしたことにある。
「千年に1人の美少女」というと大抵は名前負けするのだけど、楊貴妃の場合は「中国5千年に1人」のキャッチコピーが負けてしまうような超絶美女だった。

 

江戸時代の日本人が描いた楊貴妃

 

有能皇帝だった玄宗は「開元の治」で国内の経済や文化を発展させ、同時に外敵も武力で制圧して、平和でスバラシイ時代をもたらした。
それで気がゆるんだのか、政治に対する玄宗のモチベーションは低下していく。
寵愛していた武恵妃(ぶけいひ)が亡くなったのはそんなころだ。
心に開いた穴を埋めるべく、玄宗は新しい美女を中国全土に求めると、全国オーディションを勝ち抜いた楊貴妃が玄宗皇帝の寵愛を受けることになる。
いや、オーディションをして選ばれたのならよかったけど、実際には楊貴妃は玄宗と武恵妃の間に生まれた子供の妃(きさき)だった。
つまり息子の妻を奪ってしまうという、アニメの闇展開のような経緯を経て、玄宗は楊貴妃を手に入れる。そそて、ひたすら彼女を愛するようになる。
当然その分、政治からは離れてしまう。

そのころの唐の政治の実権を握っていたのは、楊貴妃の親族の楊国忠と安禄山(あんろくざん)で、2人は敵対し争い合っていた。
755年に楊国忠が安禄山をおとしいれるため玄宗に讒言(ざんげん)をすると、命の危険を感じた安禄山は逃げ出して叛乱を起こす。
禄山と部下の思明(ししめい)が主導したことから、この乱を「安史の乱」という。
まあ「タッキー&翼」みたいなものだしらんけど。

この反乱で、真の敵は唐軍の「平和ボケ」だった。
長年の平和に慣れきって、ユルユルになっていた唐政府軍は雑魚キャラも同然で、安禄山軍の進撃を食い止めることはできず、あっという間に第二の重要都市・洛陽を陥落させられた。
そして756年に安禄山は「大燕聖武皇帝」という、まるで中二病をこじらせた大人のような名を名乗り、燕国を建国する。

唐の都・長安まであとわずかというところにまで反乱軍が迫ってきても、唐軍にはこれを撃退する力は無い。
捕まれば殺されることはまず間違いないとしても、楽に逝かせてくれるほど敵軍が親切な人たちとは限らない。
大パニックになった唐政府では、「もうむりぽ(無理っぽい)…」と絶望した人もいたと思われ。
皇帝である玄宗がこのまま長安にいたら、確実に殺されるだけDEATH。
ということで玄宗は宮廷を抜け出して、別のところへ移動することにした。

主(あるじ)のいなくなった都を反乱軍が制圧して、その支配が続いていたころ、安史の乱で荒廃した世の中を見て、杜甫とかいう漢詩の神が『春望』という歌を詠む。

「国破れて山河在り、城春にして草木深し」
(戦乱で国は荒れ果ててしまったが、山や川は昔のまま変わらない。城壁にも春がやってきて、草木が生い茂っている)

 

一方、蜀の地へ逃避行を続けていた玄宗らには、「馬嵬事変」(ばかいじへん)という一大事がぼっ発。
開元の治の中国がまるで異世界だったように、いまの唐は滅亡寸前のところまで追い込まれてしまった。
これが安禄山と史思明の反乱のせいだとしても、それは楊国忠が国益を無視して、私利私欲のために好き勝手に政治を行なったことが原因だ。
楊国忠のために天下の民が苦しんでいる。
そう考えた兵士らは楊国忠に襲いかかって、処刑してしまう。

この楊国忠というヤツは冬の寒さを防ぐために、まわりに美女を並ばせて「肉屛風」と言ったり、風よけで太った女性を並べて前を歩かせて「肉障(肉陣)」と言うような全フェミニストの敵。
ふさわしい末路かと。

安禄山も史思明も楊国忠も悪いが、すべてのモトをただすと、玄宗皇帝を「ふ抜け」にした楊貴妃がいけない。
それで兵士は玄宗に楊貴妃を殺害するよう要求すると、「いや、彼女は関係ない。だから死だけは…」という玄宗の願いで兵士の怒りを鎮火することはできず、傾国の美女は殺害された。
唐王朝も安史の乱が致命傷となって、そのダメージから回復することはできず、やがて滅亡してしまう。
「国が破れるほどの美女」というのは、なかなかのパワーワード。
でも、悪いのは楊貴妃の周りにいた男どもだ。

 

後日談

実はあのとき楊貴妃は殺されずに逃げ延びて、日本に来て亡くなったという楊貴妃伝説がある。
その地はなぜか山口県で、いまでは「楊貴妃の里」という観光地になっているというまさかのオチ。
ただ口コミを見るとわりと楽しそう。

・楊貴妃の白い大きな銅像があります。3.8mの高さだそうで、楊貴妃が38歳の若さでお亡くなりになったことに由来しているそうです。
・兵馬俑のレプリカは飾ってあるし、中国風の屋根を持った建物もあり、更には楊貴妃の像まで建てられていました。
・世界三大美人の一人である楊貴妃にちなんだ所が山口県にあるのが驚きです。

いまでは高級メダカの名前にもなっとる。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。