【韓国の屈辱】1905年、日本と乙巳条約を結んだ背景

 

ことし3月、韓国の野党は尹(ユン)政権に激怒した。

ハンギョレ新聞の記事(2023-03-22)

韓国最大野党「新乙巳条約に匹敵する対日外交」…国政調査を本格的に検討

まぁ、韓国の野党が政府に怒るのはいつものことだけど。
この少し前、日本を訪問した尹大統領は岸田首相との会談で、元徴用工問題について日本に受け入れ可能な解決案を提示した。
2018年にこの問題が急浮上し、以後、日韓関係は戦後最悪と言われるほど悪化する。
尹政権の解決策は、日本企業が賠償しなくてもいいというもので、これで日韓関係は好転し、友好ムードがうまれた。

でも、野党にはそれが許せない。
尹大統領がしたことは、乙巳(いっし)条約に匹敵するほどの「屈辱外交」であり、絶対に容認できないと主張する。
乙巳条約とは、日本では「第二次日韓協約」と呼ばれるもので、1905年のきょう11月17日、日本と大韓帝国との間で締結された協約だ。
これによって韓国は外交権をほとんど失い、日本の保護国となった。
韓国に対する日本の支配権が確立されたから、現代の韓国で乙巳条約の締結は屈辱的な惨事とされている。

韓国では、このとき賛成に回った韓国の5人の閣僚を「乙巳五賊」と呼ぶ。
これは、“国を日本に売った裏切り者”といった意味で、現代の韓国の歴史認識においては、どうしようもないほどの悪人。
その中でも李 完用は「最悪オブ最悪」で、彼が韓国国民に許される日は永遠にない。
だから、野党が「新乙巳条約」と呼んだのは、尹大統領を「李完用と同じ」と言ったことになり、これは韓国の政治家にとっては最大レベルの侮辱になる。

 

李完用に対する韓国人の怒りはすさまじく、彼の墓は何度も暴かれた。

 

第二次日韓協約が結ばれた背景には、同じ年(1905年)の「桂・タフト協定」「桂・タフト協定」がある。
このとき日露戦争での日本の勝利が確定的となり、日本とアメリカは「戦後」について話し合った。
その結果、アメリカは韓国における日本の支配権を確認するかわりに、日本はフィリピンでのアメリカの支配権を確認した。
そして日本が戦争に勝利すると、ロシアはポーツマス条約で韓国に対する日本の優越権を認めた。

もし、日露戦争でロシアが勝っていたら、韓国がロシアに支配されたことは確実で、残酷なことだけど、大韓帝国には自主独立の選択肢はなかった。
国際社会を動かすには、当時の大韓帝国の力は弱すぎた。
しかも、韓国の高宗が他国に第一次日韓協約(1904年)の不満を訴えて、日本の信頼をなくしたことも、第二次日韓協約を結ぶ一因となる。
安重根が伊藤博文を暗殺したことで、日本が韓国併合に踏み切ったことと背景は似ている。

乙巳条約を「屈辱的だ!」と呼ぶだけでは意味がない。
あの不幸な歴史から学び、二度と繰り返さないように、韓国を強く豊かにする努力をした方がいい。
それなら、尹大統領のように過去を蒸し返さず、日本と敵対することなく、協力関係を築くことがベストの選択。
でも、そうすると野党は「屈辱外交」と叫び、両足を引っ張るのだろうけど。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。