1943年のきょう3月14日、ポーランドにあったクラクフ・ゲットーが解体された。
そう聞くと、「なるほど。で、ゲットーってなに?」となる人も多いと思う。
日本の歴史にはこんな邪悪なものは存在しなかったから、日本人にはイメージしにくい。
ヨーロッパの歴史にあって、日本にはなかったものに「反ユダヤ主義」がある。
イエス・キリストを処刑したのがユダヤ人だったこともあり、ヨーロッパでは古代から、ユダヤ人は「神殺しの民」として憎まれ、追放や虐殺などの迫害を受けてきた。
14世紀にヨーロッパで黒死病が流行し、人がバタバタと死んでいくと、人々は恐怖に支配され、根拠なく病気の原因をユダヤ人のせいだと決めつけ、集団虐殺したこともあった。
ヨーロッパ社会でユダヤ人は「異質」と見なされ、ゲットーと呼ばれる地区へ住むことを強制され、周囲を壁で囲まれたゲットーは都市の管理下に置かれた。
言ってみれば、都市の中にある大きな刑務所だ。
ゲットーの形態は時代や場所によって違うから、くわしいことは「ゲットー」で確認してくれ。
生きたまま焼かれるユダヤ人(14世紀)
1930年代に、ドイツでナチス政権が誕生すると、反ユダヤ主義はピークに達した。
ナチスはユダヤ人を「二級市民」として見なし、さまざまな権利を奪い、ドイツ人との結婚を禁止する。
そんな差別や嫌悪はますます悪化し、ナチスはユダヤ人を「汚れた民族」と考え、この世から完全に消し去ることを決めた。
こんな悪魔のような考えから、ヨーロッパ各地に、ユダヤ人絶滅を目的とする収容所が建設された。
そこへ送られたユダヤ人は、健康な者は死ぬまで働かされ、病人や弱者はすぐにガス室へ入れられて殺された。
1940年に建てられたアウシュビッツ強制収容所はナチスの絶滅政策の中心となり、150万人以上が殺害されたと言われる。
最終的には、約600万人のユダヤ人が虐殺された。
ワルシャワに残るゲットーの壁
1939年、ドイツがポーランドへ侵攻し、第2次世界大戦がはじまった。
ポーランドを制圧した後、ナチスはいくつかの都市にゲットーをつくり、国内のユダヤ人をそこへ移住させる。
ユダヤ人はそこから、計画的に収容所へ送り込まれていたから、言ってみればゲットーは虐殺の待機場所だ。
最も規模が大きかったのがワルシャワ・ゲットーで、38万のユダヤ人が集められた。
ナチスはもともとユダヤ人を生かしておくつもりはない。
狭くて劣悪な場所へたくさんのユダヤ人を住まわせ、まともな食料配給をしなかった結果、何十万人もの人が病気や飢餓で死んだ。
ユダヤ人を支援しようとするポーランド人もいたが、もしナチスに見つかると、即座に銃殺されるだけでなく、その家族も皆殺しにされることもあった。
ナチスが「悪魔」と言われるゆえん。
絶滅収容所へ連行されるクラクフ・ゲットーのユダヤ人
クラクフにも隔離地区(クラクフ・ゲットー)がつくられ、それまで3000人が暮らしていたところへ、15000人ものユダヤ人が詰め込まれた。
周囲は壁で囲まれていて、そこから出ようとすると容赦なく射殺される。
クラクフ・ゲットーにいたユダヤ人も次々と収容所へ送られていき、1943年3月14日は最後の日となった。
*日本語板と英語版ウィキペディアでは、クラクフ・ゲットーについての説明が違う。
海外のことは英語版の方が信頼できるので、以下の内容をそれをソースにした。
働けると判断された2000人のユダヤ人はプワシュフ労働収容所に移送され、約2000人のユダヤ人は働けないとみなされ、ゲットーの路上で殺された。
そして、残りの3000人はアウシュヴィッツ収容所に送られた。
Two thousand Jews deemed able to work were transported to the Płaszów labor camp. Those deemed unfit for work – some 2,000 Jews – were killed in the streets of the ghetto on those days with the use of “Trawniki men” police auxiliaries. The remaining 3,000 were sent to Auschwitz.
こうして全住民が殺されるか、強制収容所へ移送されたため、クラクフ・ゲットーは解体された。
クラクフ・ゲットーが解体された直後には、ユダヤ人の荷物が散乱していた。
ちなみに、この場所は映画『シンドラーのリスト』の舞台にもなっている。
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