きょうは12月9日だから、あと1カ月ほどで新年が始まる。
しかし、東アジアでそんな国は日本だけで、中国、韓国、ベトナムなどでは、1月の終わりから2月の初めに正月がある。だから、日本の社会から正月ムードが消え去ったころに、中国人や韓国人がSNSに「新年おめでとう!」と一斉にお祝いのメッセージを投稿することになる。日本人だとその歓喜の波に乗ることができないから、個人的にはやや寂しさを感じてしまう。
1872年のきょう12月9日、明治政府が12月2日で太陰暦を廃止し、翌12月3日を太陽暦の1月1日にすることを決定した。こうして、江戸時代までの太陰暦は旧暦となり、今に続く新暦が始まる。
旧暦を西暦に切り替えることは中国や朝鮮なども行ったけれど、正月の日にちまでは移動していない。これが理由で、いま東アジアの中で日本が「ぼっち状態」になっている。
オットマール・フォン・モール(1846年 – 1922年)
戊辰戦争で徳川幕府をぶっ倒した後、明治の新生日本は欧米列強に学んで国内改革を行った。これは、日本が近代国家に生まれ変わるために、江戸時代までの価値観や制度を徹底的に破壊して、西洋の新しいやり方を採用することを意味する。
そのころ、ドイツ貴族で外交官のオットマール・フォン・モールが明治政府に雇わて、日本に2年間滞在し、宮中を西洋式にするためにさまざまなアドバイスを行った。
その時期にモールが日本で見聞きしたことが、『ドイツ貴族の明治宮廷記(講談社学術文庫)』にまとめられている。これを読むと、急ピッチで社会を西洋式に変えていく当時の日本では、ヨーロッパ人と日本人の間で意識や価値観に大きなギャップがあったことがわかる。
*以下の「」の部分は上の本から抜き出したもの。
当時のヨーロッパ人としては「どうしても承服できなかった」ものに、宮中で行うお祝いの行事で、女性の着る服が伝統的な和服から、西洋式のドレスに変わったことがある。
そのことについて、このドイツ貴族はこう嘆く。
「まるで絵のように美しい宮廷衣裳は、日本女性に対する天皇の布告によってすでに廃止され、いかにも俗悪な洋風衣裳にとって代わられていた。」
ヨーロッパ人からすると、着物を着るからこそ日本女性の立ち振る舞いが美しく見える。それを日本人の手で廃止して、あえてみっともない姿になったから、特に芸術に関心のある西洋人を失望させる結果となる。
しかし、おそらく当時の日本人にとっては、そんなヨーロッパ人の感傷なんてどうでもよく、新しい時代を迎えてやる気に満ちていた。
明治天皇の后である昭憲皇太后が新衣(洋服)を着ることになったとき、こんな和歌を詠んだ。
「新衣(にひごろも) いまだきなれぬ わがすがた うつしとどむる かげぞやさしき」
宮中は千年以上の歴史を持ち、日本の伝統がもっとも強く表れている。日本はその重要な部分を西洋式に変えてしまったため、モールは大反対したが、伊藤博文は絶対に譲らなかった。
伊藤博文としては、国民にとっての天皇の存在をそれまでの宗教的なシンボルから、近代国家にふさわしい立憲君主に変えたかったらしい。
当時の日本人は、ヨーロッパ人からすると腹が立つほど伝統的なものを無くし、さまざまなものを西洋式に変えてしまった。現在、東アジアの中で一国だけ、正月を1月1日に祝うこともその改革の延長にある。
ここまで徹底的に変えなかったら、日本はあれほど早く近代国家になることはできなかった。
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コメント
コメント一覧 (2件)
> 中国、韓国、ベトナムなどでは、1月の終わりから2月の初めに正月がある。
私が知っている東南アジア諸国では、ちょっと状況が違ってました。東南アジア各国に居住している中国人(華僑)は当然旧正月で祝うのですが、マレー系(ムスリム)の人々は、新暦正月と旧暦正月の両方を祝うのです。その度に彼らは1週間程度の休暇を取るものだから「ホントに仕事にならん」と、中国系や日系の管理職は嘆いてました。
> 当時の日本人は、ヨーロッパ人からすると腹が立つほど伝統的なものを無くし、さまざまなものを西洋式に変えてしまった。
うーん、ヨーロッパ人が「腹を立てた」理由なんですけどね。そりゃ、
> 着物を着るからこそ日本女性の立ち振る舞いが美しく見える。それを日本人の手で廃止して、あえてみっともない姿になったから、特に芸術に関心のある西洋人を失望させる結果に
ということも、まあ、あったのでしょう。しかし、深読みして(と言うか下衆の勘繰りで?)考えてみると、彼らにしてみれば極東の後進国住民が自分達と同じ装いをするのが(心の底ではどうにも)腹立たしい。その言い訳として「日本の伝統文化の継承」を持ち出したという気が、しないでもないのですが。
これも一種のポリコレ的配慮ですかね。
記事にある文章は一部を切り抜いたものなので、前後の部分を読むと、当時のヨーロッパ人は日本文化を尊重していたことがわかりますよ。