2月23日は日本では天皇誕生日で、イギリス(イングランド)では1689年にメアリー2世とウィリアム3世がいっしょに国王に即位し、名誉革命が終わった日となる。
ということで、今回は天皇陛下の今後ますますのご活躍とご健康を祈りつつ、現代のイギリス(イングランド)の「原型」ができた名誉革命について書いていこう。
名誉革命は本家の英語では、グローリアス・レボリューション(Glorious Revolution)といって、このほうがキラキラ感がある。
この革命が起きる前提として、チャールズ1世という超自己中心的な国王について話さなければならない。
彼は「王の権利は神から与えられたもの」という王権神授説を信じていて、人は誰も王の決定に逆らうことはできないと、やりたい放題していた。
勝手に戦争を起こし、貴重な労働力がなくなったにもかかわらず、独断で課税して国民を苦しませた。チャールズ1世はこうしたことを、議会の承認を得ないまま行ったから、議会との対立を強めていく。
そして、ついに清教徒革命が起こり、議会派との戦いに敗れた国王チャールズ1世は、1649年に処刑され、君主のいなくなったイングランドは共和制の国となる。
恋愛で別れ話を切り出されたら、一度あっさりと受け入れた方がいいという説がある。失って初めて相手の価値に気づくことはよくあることで、そんなときに連絡を入れると寄りを戻せる確率が高いという作戦だ。
国王を失ったあと、イングランドがそんな状況になる。人々はまとまりに欠け、意見が対立して争いや混乱が続くようになり、それにウンザリした人々は「国王ロス」の状態になり、「やっぱり、イングランドには王様が必要だ」という結論になり、息子のチャールズ2世を新しい王として迎えることにした。
こうして、1660年に王政復古が成立。
しかし、今度は宗教が争いの火種になる。
1685年、チャールズ2世の次に即位したジェームズ2世は、カトリックを信じていたのだ。そのため、彼はカトリック教徒を採用して身の回りを固め、それに反対したプロテスタント(イギリス国教会の信者)の大臣をバンバン追放した。
イングランド議会の議員の多くはプロテスタントだったため、カトリックの支配に対して脅威や敵意を感じ、清教徒革命が起こる前のように、議会と国王との間で再び緊張が高まっていく。
しかし、今回の場合は議会派のクーデターが成功する。
オランダからウィリアム3世を迎え入れ、彼が数万のオランダ軍を率いてロンドンに上陸すると、ジェームズ2世は「これは無理っぽい」と悟り、戦わずしてフランスへ亡命した。
その後、1689年2月23日、ウィリアム3世とメアリー2世が共同でイングランド王に即位した。
ジェームズ2世が抵抗をあきらめて戦闘が行われず、血が流れなかったことから、この出来事はグローリアスなレボリューションと呼ばれるようになる。
ただし、小さな戦闘はあったため、血がまったく流れなかったわけでもない。
この名誉革命で国王は、議会を無視して課税することや、自分に反対する議員を独断で逮捕することなどを禁じた「権利の章典」を認めた。これで国王の権利は制限されるようになり、王権神授説とかいう寝言を言って、国を私物化したチャールズ1世のような暗君が現れることはなかった。
王の権限が小さくなったことで、王に対する議会の優位は決定的となる。
そして、イギリス国教会は国家宗教となり、イギリス国王とその妻がカトリック教徒であることは禁止された。カトリックの信者は要職に就くことができなくなり、居場所を失った。
*2013年に上記の規定は廃止され、妻がカトリック教徒でもOKとなった。しかし、カトリックの国王は今でも認められないと思う。
ということで、清教徒革命のころから続いた混乱は名誉革命で終わり、英国王の権限が規定されて議会政治の基礎が築かれ、イギリス国教会の優位性が決定的となったことで、現代のイギリスの原型が完成した。
おまけ
1642年1月4日、チャールズ1世が自分に反対する5人の議員を逮捕するため、武装した400人の兵士を連れてイングランド議会に侵入した。しかし、5人の議員は事前にその情報を知っていたため、すでに議会から抜け出していた。
現在のイギリス議会(下院)では、このチャールズ1世の失敗を記念して、彼が議会へ侵入したことを連想させる行事が行われており、それが毎年、国会開会のセレモニーとなっている。
Charles’ 1642 incursion into the Commons chamber is now commemorated annually at the State Opening of Parliament, an event which formally marks the beginning of each parliamentary session.
国王の使者である黒杖官(こくじょうかん:Black Rod)が、下院議員が集まっている議場に入ろうとすると、その目の前でドアが閉められる。黒杖官がドアを3回強くノックすると、議場へ入ることができる。
一度、黒杖官を締め出すことで、下院の権利と王に対する独立を表している。
これは国王と議会の対立の歴史の中から生まれた、イギリスでもっとも重要な伝統儀式のひとつだ。
日本で天皇の使者にこんなことをしたら、どんな騒ぎになるのか見てみたい。
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