ドイツ人とインド人が「牛丼」にハマった理由
日本に住んでいたドイツ人留学生と話をしていたとき、日本で気に入った食べ物について聞くと、彼は短くこう言った。
「ギュウドン」
後日、インドから来た留学生に同じ質問をしたら、彼も日本で牛丼を好きになったという。
2人は国籍も宗教も違うけれど、日本に来てから、「早い、安い、うまい」でお馴染みのファストフードのファンになった。
その理由は日本人のボクには「死角」で、日本の食文化を深掘りするきっかけになった。

日本人もビックリの「極薄肉」
最近、日本のネット界隈で「肉の薄さ」が話題を集めたことをご存知だろうか。
ある人が有名なしゃぶしゃぶチェーン店で食事をしたところ、皿の底が透けて見えるレベルの「極薄肉」が提供されてビックリした。
彼がその肉の写真をSNSに投稿すると、「ステルス豚肉だ!」「まるでフグ刺し、いや羽衣レベル!」と話題沸騰。
騒動を受けて運営会社が調べたところ、店側が本来の基準を下回る薄さに切って提供していたことがわかり、「深くお詫び申し上げます」と謝罪した。
とはいえ、この店は食べ放題だったから、写真を見て不快に感じる人は少なく、一周回って「AIかと思った…」と技術の高さに感心する人が多かった。
・口の中じゃなく、鍋の中で溶けちゃいそう
・匠の技
・逆にこれ注文したい
・かんな職人の求人でも出したんかな
・薄い膜を皿にキレイに盛るの逆に難しくないか?
・これが出てきて切れないとか
皆、人格者だな

これはAIに描いてもらった画像。
こんな感じに、反対側が見えそうなくらい「クリスタルな肉」だった。
ドイツ人とインド人を虜にした「1.3mm」の魔法
ここで話を冒頭のドイツ人とインド人に戻そう。
彼らが日本に来て、「牛丼」のファンになった理由は「美味しい」という単純なものだけではなかった。
インドの物価と比べると日本は高いから、インド人留学生は「安くて腹にたまる」という面で牛丼が気に入った。
一方、ドイツでランチを食べると2000円を超えるのは普通だから、ドイツ人留学生は牛丼をコスパの面で「お得」とは考えていなかった。
彼らに共通する、牛丼の大きな魅力は「お肉の薄さ」だった。
吉野家では肉に汁を染み込ませ、さらになめらかな食感を味わえるように、肉の厚さは「1.3mm」と決められている。
ドイツ人もインド人も母国にいたときは、そんなに薄くて柔らかい肉を見たことがなかったから、牛丼が新鮮に感じたという。
日本の「薄切り肉」文化
日本の食文化で「薄切り肉」は欠かせない。
だから、すき焼きやしゃぶしゃぶ、豚の生姜焼き用の肉は近所のスーパーで簡単に手に入る。
ちなみに、すき焼き用の肉の厚さは2~3mm、しゃぶしゃぶ用では1mmのものが多い。
すき焼きは肉の食感を残すために、しゃぶしゃぶより少し厚めに設定されている。
しかし、日本を一歩出ると、この常識が通じなくなることが多い。
ドイツ人もインド人も肉料理では、肉が本来持つ味を楽しむためにある程度の厚さが必要だから、「生肉を薄くスライスして食べる」という文化がないという。
2人が知らないだけで、薄い肉が「皆無」というわけではないかもしれないが、少なくとも日本のように一般的な食材にはなっていない。
また、中国人に聞くと、「火鍋」などで薄い肉を使う料理はあるから、これは日本だけで見られるものではない。
しかし、しゃぶしゃぶやすき焼きなど、薄い肉を使った料理は日本の食文化の大きな特徴であることは間違いない。
ヨーロッパ在住日本人の悩み「薄肉が手に入らん」問題
「今日は肉じゃがを作ろうかな♪」という気分になっても、海外では、現実的ではないと諦めないといけない場合がある。
ヨーロッパに住んでいる日本人の声を聞くと、「薄切り肉が手に入らない」問題に悩まされる人が多い。
以前、SNSでそれについて質問すると、以下の答えがかえってきた。
「ドイツに10年以上住んでいますが、薄切り肉は見たことないですね。」
「リンダールーラーデン用の肉でも厚さは7ミリほどあると思います。」
※リンダールーラーデンは薄くスライスした牛肉を使ったドイツ料理。
「日本のレシピで『豚こま肉を使う』と書いてあると、絶対無理なのでがっかりする」
「すき焼きとか、豚肉の生姜焼きを作るときには、肉を半分凍らせた状態にして薄く切って使っています。」
ドイツのデュッセルドルフみたいにたくさんの日本人が住んでいて、和食レストランがあるような地区では、しゃぶしゃぶ用の肉を売っている店やその厚さに切ってくれる肉屋があるという。
ほかにも、アジア系スーパーで冷凍の薄切り肉が売られていて、それを使って牛丼を作った人もいる。
中国人が多いところに住んでいた日本人は、店で火鍋用の薄い牛肉を買ってしゃぶしゃぶを作ったという。
日本人の「薄肉DIY」
総合的にみるとヨーロッパでは日本みたいに、近所のスーパーで薄肉を気軽にゲットすることはできない。
それでも、「肉じゃがやしゃぶしゃぶが食べたい」という強い思いから、「DIY」を選ぶ人もいる。
スーパーで肉の塊を買って、それを自宅の冷凍庫に入れて半冷凍にし、冷たさに耐えながら包丁でミリ単位のスライスに挑んだり、自腹で購入したスライサーで肉を切ったりするのだ。
これが、ヨーロッパ在住日本人には「あるある」の日常らしい。
日本の「薄い肉」はヨーロッパ人の斜め上
現地の肉屋に行ったら、カルチャーショックを受けたという日本人も多かった。
「肉屋さんに一番薄くしてと頼んだのに、出てきたのは5〜7mmの厚さだった」
「スーパーで『めっちゃ薄切りにして!』と頼んだら5mm厚になって、こりゃだめだと思った」
「ミラノのお肉屋さんが日本人のリクエストに応えて薄切りにしてました。その肉屋のオーナーは薄切り肉を『しゃぶしゃぶ』って呼んでいました」
「私は行きつけの肉屋さんの店長を教育して(笑)、日本みたいなスライス肉を買っていましたよ」
当然、あちらがコチラを知ると、逆カルチャーショックを受けることになる。
ある日本人が日本の「しゃぶしゃぶ用の極薄肉」を肉屋に見せたら、職人があまりの薄さと技術の高さに驚いて感心したという。
ヨーロッパにも「薄肉」はあるけれど…
ヨーロッパで「薄い肉」というと一般的にはハムがあるし、イタリアには有名な「カルパッチョ」がある。
だから、薄い肉の食べ物がないこともない。
しかし、ハムは塩漬けにされたり、乾燥されたりしていて、水分が抜けて肉が硬く引き締まっている。だから機械の刃を当てるとスパッと綺麗に切ることができる。
ハムは加工(塩漬け・乾燥・熟成・加熱)がされているから、生肉とは本質的に違う。
生肉で作るイタリアのカルパッチョはヨーロッパでは珍しい食べ物で、これも半冷凍の肉をスライサーで切っている。
または、肉を薄く切って、ミートハンマーなどで叩いて延ばす。
それに対して、しゃぶしゃぶで使う生の牛肉や豚肉は柔らかく、グニャグニャしているから、ハム用のスライサーで切ることはできない。
無理やり切ろうとすると、肉が刃に巻き付いたり刃を痛めたりする。
だからこそ、ヨーロッパ在住の日本人は生肉を「半冷凍」にして硬くしてから切っていたのだ。
ヨーロッパではこうした食文化があるため、紙のように薄い肉を使った牛丼は「異世界」の食べ物になるのだろう。
現地在住の日本人には、厚さ1ミリほどの薄切り肉が「憧れの食材」に見える。
なぜ欧米には「薄切り肉」の文化がないのか?
ヨーロッパには極薄の生ハムはあっても、極薄の生肉はない。
したがって、しゃぶしゃぶや牛丼のように、肉を薄切りにして加熱して作る食べ物もない。
この日本と欧州の食文化の違いには、大きく分けて3つの理由がある。
1.料理法と手間の違い:「焼く・煮る・叩く」の合理性
ヨーロッパの伝統的な肉料理といえば、オーブンで塊のままじっくり焼く「ローストビーフ」や、ワインで柔らかくなるまで煮込む「シチュー」が有名だ。
つまり、彼らの肉料理の基本は「大きな塊のまま調理する」ことにある。
もし、肉を薄くしたい場合は、前述したようにハンマーでバンバン叩いて薄く引き伸ばす。
イタリアのカルパッチョのほかにも、ドイツ料理の「シュニッツェル」も肉を叩いて平たくして作る。
ヨーロッパの食文化では、伝統的な肉料理の調理法は「焼く・煮る・叩く」が基本で、日本や中国のように「薄く切る」という発想には馴染みがない。
2. 肉質の違い:赤身肉メインの欧米
欧州でよくある牛肉は、牧草を食べて育った赤身肉が主流。
赤身肉は噛みごたえがあり、肉本来の旨味を味わえやすい反面、日本の霜降り肉のように「口の中でとろける」ような脂はない。
この赤身肉を、しゃぶしゃぶのように薄切りにしてサッと熱湯にくぐらせると、水分と旨味が抜け落ちてパサパサになり、かえって美味しくなくなってしまう。
赤身肉は、塊のまま焼き上げて肉汁を閉じ込めたり、時間をかけて煮込んだりすると美味しく食べられる。
やっぱり、赤身肉にはヨーロッパの伝統的な調理法が合っている。
それに対して、霜降り肉としゃぶしゃぶ(またはすき焼き)との相性は最高だ。
3. 「ナイフとフォーク」vs「お箸」
「薄肉料理があるかどうか」の背景には、食事で使う道具の違いもある。
ヨーロッパでは食卓にナイフとフォークが並んでいる。
人びとはそれを使って、自分の好きなサイズに切り分けながら食べるから、調理の段階で、わざわざ一口サイズや極薄に切っておく必要がない。
一方、日本人は箸で食事をしている。
柔らかい魚ならいいが、箸で牛や豚の肉を切り分けることはむずかしい。普通はできない。
だから、肉料理で使われる肉には以下の条件が重要になる。
・箸でつかめるサイズであること
・歯で簡単に噛み切れる柔らかさであること
ヨーロッパと違う日本の食事スタイルが、薄切り肉を生み出したと言える。
これがごちゃ混ぜになって、分厚いローストビーフと箸が出てきたら戸惑うはずだ。
日本で分厚い肉料理が発達しなかった理由
逆に、日本ではなぜ厚い肉を使った料理が発展しなかったのか?
それは、もともと日本人が肉を苦手としていたからだろう。
日本では江戸時代まで、仏教の影響などから一般的に肉食が禁止されていた。
しかし、明治維新を境に状況は一変。
明治政府が「西洋人のように体格を良くするには、肉を食べなければならない」と考えて、肉食を推奨し始めたのだ。
明治5年には、明治天皇が初めて牛肉を食べたことが新聞に大きく取り上げられた。

こうして一般国民も肉を食べるようになっていった。
しかし、長く肉食の習慣がなかった当時の日本人にとって、西洋のステーキのような「肉の塊」はハードルが高すぎた。
だから、肉を薄く切るという発想が出てくるのは自然なことだ。
牛肉は硬くて噛みにくく、匂いもきつかったため、多くの人がこれに背中を向けた。
それで当初、牛鍋(すき焼き)はそんな抵抗感をなくすため、味噌で味つけをしていた。
西洋から伝わった牛肉を、日本の伝統的な調理法で食べるという「和魂洋才」によって、日本人に受け入れられていく。
そして、味噌だけでなく、しょうゆと砂糖などを合わせて作ったタレで煮るなど、日本人の好みにあった肉料理が開発された。
その延長に、現代の牛丼やすき焼きがある。
日本の「薄切り肉」のルーツをさかのぼると、明治時代の「文明開化」にたどりつく。
まとめ:「牛丼」から分かる、日欧の食文化の違い
ドイツ人やインド人留学生が牛丼にホレた理由は、その薄く柔らかい肉にあった。
その反面、ヨーロッパ在住の日本人は「薄切り肉が手に入らない」と苦労している。
もともと欧州の食文化では、赤身肉を活かす調理法やナイフとフォークを使ったスタイルが主流のため、薄い肉を使って料理を作る発想が、ほとんどなかった。
一方、日本では、箸を使う文化や独自の味付けなどの伝統の上に、文明開化の肉食普及が重なり、肉を薄く切って加熱して作る独自の肉料理が生まれた。
次に牛丼やすき焼きを食べる時は、ぜひお肉の「薄さ」に注目してみてほしい。
そこには、日本とヨーロッパのさまざまな価値観や食文化の違いが表れている。
もしドイツ人やフランス人が、トレイの底が見えるぐらい「透明度の高い肉」を見たら、どんな感想をもつのだろう?
ちなみに、牛丼が好きになったドイツ人は、「すき焼き」で肉に砂糖を入れる発想に驚いていたが、これもヨーロッパにはないか、かなりレアな発想だ。
おまけ:スイス版しゃぶしゃぶ「フォンデュ・シノワーズ」
溶かしてドロドロになったチーズに、パンや野菜を付けて食べる「チーズ・フォンデュ」は日本でも有名だ。
その一種に、「フォンデュ・シノワーズ」という鍋料理がある。
薄切りの牛肉や豚肉、野菜などを熱いコンソメやブイヨンスープに入れ、火を通した後に、塩やソースを付けて食べる。
言ってみれば「スイスのしゃぶしゃぶ」だ。
フォンデュ・シノワーズを直訳すると「中国風フォンデュ」といって、中国料理の火鍋をイメージしたという説がある。

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