七年戦争は「世界大戦」だった
「第三次世界大戦はいつ起こるのか?」といわれることがあるけれど、それはすでに発生し終わっている。
チャーチルの見方からすれば。
1756年から始まった「七年戦争」は、以下の規模の空前絶後の大戦争となった。
場所:ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ、アジア(インド)
交戦勢力:イギリス、プロイセン、ポルトガル、フランス、ロシア、スペイン、スウェーデン、神聖ローマ帝国など。
ヨーロッパ中の国が参戦し、4つの大陸で戦闘がおこなわれたことから、イギリスの首相を務めたウィンストン・チャーチルは七年戦争を「第一次世界大戦」と呼んだ。
その見方からすると、第一次世界大戦(1914年〜)は「第二次」になり、第二次世界大戦(1939年〜)は「第三次世界大戦」だったことになる。
もちろん、これはチャーチルの個人的な見解だが、控えめに言っても、この戦争には「世界大戦」と呼んでいいほどのインパクトがあった。
原因はオーストリアの「復讐」
七年戦争が起きた原因は、オーストリア継承戦争(1740年 – 1748年)にさかのぼる。
このときプロイセンが勝利し、オーストリアから「シレジア(シュレージエン)」を手に入れたことで終わった。
しかし、これは「始まり」でもある。
領土を奪われたオーストリアは復讐心に燃え、再びシレジアを奪い返すことに全集中するようになった。
そのためだったら、「悪魔」とさえ手を結ぶことができる。
オーストリアにとっては長年の宿敵で、オーストリア継承戦争でも戦ったフランスと同盟を結んだ。
日本史で例えるなら幕末の薩長同盟で、プロイセンの立場は江戸幕府になる。
オーストリアとフランスの同盟はヨーロッパを震撼させる出来事で「外交革命」と呼ばれた。プロイセンにとっては「悪魔合体」だ。
オーストリアは積極的に動き、スペイン、ロシア、スウェーデンも味方につけた。
それに対し、孤立しつつあったプロイセンは、海外で植民地をめぐってフランスと対立していたイギリスを味方につける。
これで大戦争が始まる下準備は完了した。
プロイセンには、シレジア奪還のため、オーストリアが攻め込んでくる未来がはっきり見えていた。
そのため、プロイセンが先に動く。
オーストリアと同盟を結んでいたザクセンを先制的に攻撃し、七年戦争が始まった。
結果的に、プロイセンとイギリス側が勝ち、オーストリアはシレジアを奪い返すことはできなかった(Seven Years’ War)。
七年戦争の残酷な結果
この七年戦争でとくに明暗が分かれたのが、当時の二大強国であるイギリスとフランスだ。
「世界大戦」の名にふさわしく、その後の世界の歴史を変えてしまった。
勝利の女神に抱きつかれたイギリスと、蹴飛ばされたフランスについてくわしく見ていこう。
イギリス:世界帝国の誕生
七年戦争における最大の「勝ち組」は間違いなくイギリスだった。
戦争中の1759年、イギリスはアメリカ大陸、インド、ヨーロッパでフランスに連勝し、この年は「奇跡の年」と呼ばれた。
イギリス海軍はフランス海軍を撃破し、「世界最強」となる。
イギリスはパリ条約によってヌーベルフランスやミシシッピ川以東の全領土を獲得した。
ヌーベルフランスは北米にあったフランスの植民地で、英語では「New France」(ニューフランス)になる。
現在のカナダの一部がヌーベルフランスに含まれていて、それがイギリス領になったことで、カナダの英語化が進むこととなった。
また、イギリスはインドをめぐってフランスと対立していた。
しかし、この戦争でフランス勢力を追い出したことで、後に全インドを植民地にすることができた。
七年戦争の結果、イギリス(大英帝国)は世界最大の海軍力と植民地を持つ「世界帝国」の土台が完成したのだ。

1921年のイギリス
世界各地に領土があり、そこでは常に太陽が昇っていることから、イギリスは「太陽の沈まない国」と呼ばれた。
フランス:領土を失い権威喪失
一方、フランスは「負け組」となり、受けたダメージは計り知れないものだった。
イギリスにヌーベルフランスを取られ、スペインにはフロリダを割譲し、フランスは北米の広大な領土を失った。
また、豊富な富をもたらすインドからも撤退を余儀なくされ、世界進出においてイギリスに大きく遅れをとる。
それでもヨーロッパの強国ではあったが、もはやイギリスの敵ではなくなった。
イギリスにとっての誤算は「勝ちすぎたこと」だったかもしれない。
ヨーロッパの中で「一強」といえるほど大きな力を持つようになり、オーストリア、プロイセン、オランダ、スウェーデン、ロシアなど各国がイギリスを脅威と見なすようになった。
七年戦争の密かな影響
七年戦争の結果、イギリスとフランスの運命は決定的に分かれたが、不幸な共通点があった。
長引く戦争によって、両国とも深刻な財政難におちいってしまったのだ。
イギリスへの負の影響:アメリカ独立戦争
そこでイギリス政府は、戦争の借金を埋め合わせるため、植民地であるアメリカに対して「印紙法」や「茶法」などを制定し、重い税金を次々と課した。
あまりに一方的なやり方で、負担に耐えきれなくなったアメリカ人は大激怒。
「代表なくして課税なし!」というスローガンのもと、激怒したアメリカはイギリスに対して反旗を翻し、独立戦争(1775〜1783年)へと発展した。
単純に軍事力を比較すれば、アメリカ軍に対してイギリス軍は優位な立場にいた。
しかし、イギリスに反感を持っていたフランス、スペイン、オランダは、この戦いを「イギリスを弱体化させるチャンス」と考え、アメリカを支持することにした。
とくにフランスは七年戦争の深い恨みもあり、独立戦争に積極的に協力し、アメリカ軍とともにイギリス軍と戦った(アメリカ独立戦争におけるフランス)。
いっぽう、ヨーロッパの中にイギリスを支持する国は一つもなかった。
結局、アメリカが戦争に勝って自由を手に入れ、イギリスは重要拠点を失ってしまった。
フランスへの負の影響:革命へのカウントダウン
フランスはイギリスの敗北を見て、おそらく「ざまあみろ」とハッピーな気持ちになったと思われる。
しかし、フランスが実質的に手に入れたものはなく、それは精神勝利でしかない。
しかも、ただでさえ財政が悪化していたのに、アメリカ側について参戦したことで軍事費の出費が加わり、火の車だった国庫は大炎上してしまう。
フランスは国家の破産状態におちいったが、七年戦争で海外領土を失っていた。
となると、国民から取り立てるしかない。
負担の重さに対して、国民の怒りや不満が蓄積されていき、ついに1789年に爆発し、フランス革命がぼっ発した。
まとめ
財政難から国民に重税を課した結果、イギリスはアメリカ独立戦争、フランスは革命を招いた。
世界を揺るがす歴史的事件の引き金となった七年戦争は、まさに世界戦争の名にふさわしい。
ノルマン征服からの百年戦争で、今のフランスとイギリスが生まれた

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