泡盛に傭兵、日本人町 アユタヤ王朝から始まる日本とタイの関係

泡盛(あわもり)は沖縄を代表するお酒(蒸留酒)で、沖縄の人たちはどんなに悲しいことや苦しいことがあっても、これを飲んで踊れば元気が出てくる。と、沖縄に一回しか行ったことくせに書いてみる。
このお酒のルーツは現在のタイ(アユタヤ王朝)にある。
約600年前、アユタヤから酒の蒸留技術が琉球に伝わり、その後、独自の発展を遂げて泡盛が爆誕したという。
現在でも泡盛はタイ米から作られているのだ。

*くわしいことはウィキペディアの「泡盛」や、外務省HPの「地方連携の取組:ハイサイ!タイにて泡盛や沖縄観光のPRを実施」で確認してくれ。

 

アユタヤ王朝は1351年の3月4日、国王ラーマーティボーディー1世によって建てられた国で、1767年に隣国のビルマに滅ぼされるまで、400年以上も存在していた。
今回は日本とタイの関係について書いていこう。

 

アユタヤで活躍した日本人兵

 

日本とタイの国と国との関係は、江戸時代に始まる。
正式に国交を結んではいなかったが、江戸幕府とアユタヤ王朝とのあいだで、プレゼントや手紙の交換が行われ、友好的な交流が行われていた。
当時の日本は、関ヶ原の戦いや大阪の陣を制した徳川家康の世の中となり、全体的に、戦いから平和の時代に移行しつつあった。こうなると、戦いを仕事としていた武士には価値がなくなり、彼らは「いらない子」となる。

しかし、タイに需要があった。
当時、アユタヤは天敵のビルマから攻撃を受けていて、その対応に苦しんだナレースワン王は武士を傭兵として雇い、ビルマ兵にぶつけることにした。
こうして、何百人もの日本人傭兵の数がアユタヤへ渡り、朱印船貿易が行われた影響もあって、アユタヤの日本人町はにぎわっていく。特に有名な日本人が、日本人町を仕切っていた山田長政で、彼はアユタヤ王から信頼され政府高官に任命された。
こんな交流と同時に、アユタヤから酒の蒸留技術が琉球に伝わったと思われる。

 

その後、江戸幕府がキリスト教を日本の治安を揺るがす危険思想とみなし、それを排除しつつ、鎖国体制を強化していく。それに対し、カトリックの宣教師は東南アジアにあった日本町で布教活動を行い、日本人のキリスト教徒や司祭を朱印船に乗せて日本に送り出していた。
そんなことから、朱印船貿易が廃止されると、アユタヤをはじめ各国の日本人町が衰退していった。
歴史の「タラレバ定食」はおかわり自由。
もし、あのまま交流が続いていたら、東南アジアのさまざまな文化が入ってきて、日本は多様性あふれる国になったと思われる。逆に言えば、「鎖国」にしたことで、日本らしい魅力が育っていったとも言えるから、これはいい選択だった。

 

 

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