実際に鎌倉を見て回ると、鶴岡八幡宮も良かったけれど、いちばん印象に残ったのはやっぱり大仏だったと言う。東大寺にある奈良の大仏よりも、空を背景にして、広々とした空間の中にある鎌倉の大仏のほうが、彼には開放感や雄大さを感じられ、立派に見えた。

『スラムダンク』の聖地のひとつ
主人公の桜木花道が、この踏切の前で江ノ電が通るのを待つシーンがある。今では世界中の人々がここに来て、江ノ電が来るのを待ちながらスマホを向けている。
このトルコ人はイスラム教徒だから、仏教に対する信仰心は皆無で、仏教を日本文化の一部、仏像を単なる文化財として見ていた。
信仰心はゼロでも、マイナスではない。
仏像をイスラム教が禁じる偶像崇拝と見なし、「汚物は消毒だー!」といった勢いで破壊する過激派とは違い、彼は、他人が大切にしているものには敬意を払うというイスラムの教えを守り、仏像を尊重している。
このトルコ人にとって仏像は美術品で、その「良さ」の基準は自分の感性に合ったビジュアルかどうかだ。
こんな価値観の真逆にいるのがミャンマー人。
日本人がタイを訪れると、お寺や仏像に手を合わせる人が多く、「さすが仏教の国、信仰心が強いな〜」と感じることが多い。もし、日本人よりも信仰心が薄いなと感じた人がいたら、その理由を知りたい。
知人のタイ人に言わせると、仏教への信仰心の強さでは、隣国のミャンマー人がさらに上だ。

バングラディシュにある仏像
雨に打たれないように、屋根が作られている。
記録によれば、鎌倉の大仏は1238年5月8日に建立が始まった。
最初の仏像は木製で、その後何らかの理由で消失し、青銅製の仏像が作られた。だから、現在の鎌倉の大仏は「二代目」になる。
奈良時代の大仏建立は国家事業で、聖武天皇や朝廷が全面的にバックアップして造られた。鎌倉の大仏も、将軍や幕府の支援があったと考えられているが、その記録は残されていない。
大仏が建立された目的は、鎌倉幕府が長続きすることや、民衆が平和に暮らせるように願うためだとされる。また、源頼朝と妻・政子が奈良の大仏を見て感激し、鎌倉にも大きな仏像をつくろうと思い立ったという説もある。でも実際のところ、誰が何のためにこんな大きな仏像を造ったのか、はっきりしたことは判明していない。
くわしい背景を調べるのは専門家にまかせるとして、一般人は大仏の前に立って手を合わせ、その姿をしっかり見るだけでいい。
ミャンマーの仏教徒はイスラム教徒と違って、タイ人が「負け」を認めるほど強い信仰心を持っている。だから、野ざらしになった鎌倉の仏像を見て、「雨や風、雪にさらされていると思うと、かわいそうになりました」と言ったミャンマー人に、これまで3人会ったことがある。日本は経済大国なのに、仏像を守るために寺を建てないで、自分のために使うのはヒドイと非難する人もいた。
もちろん、感じ方は人それぞれ違う。
20代のミャンマー人女性に聞くと、「その人の気持ちはわかります。でも、ミャンマーにも、野ざらしにされた大きな涅槃仏がありますから、私は鎌倉の仏像が“かわいそう”とは感じませんでした。威厳があって素晴らしいと思いましす」と言っていた。
仏像に対する感情移入のレベルは、きっと仏教への信仰心の深さに比例している。この女性は、「雄大さ」を感じたトルコ人と、「日本人はヒドイ」と怒ったミャンマー人の間にいる。日本人の感じ方は案外このイスラム教徒に近く、外国人に「かわいそうだった」と言われたら、「え?」と驚く人が多い予感。

コメント
コメント一覧 (2件)
元々鎌倉大仏は野ざらしではなく大仏殿があった。
ただ津波の被害に遭って消失したと言われている。
大仏殿があったことは、記事で触れていますよ。