【ナチスのヒムラー】ホロコーストで果たした役割・その最期

1945年のきょう、5月23日、「悪即斬」ほどのスピード感はなかったが、「悪は必ず滅びる」という法則が正しいことが証明された。ヒトラーの側近で、ナチスの親衛隊(SS)隊長だったハインリヒ・ヒムラーが自殺した。

ナチスは差別思想にもとづき、ユダヤ人を「人種的に劣っている集団」と見なし、ユダヤ人が存在することを「問題」と考えた。そして、1942年にその最終解決として、ユダヤ人を絶滅させ、地上から消すことを決定した。
ナチスにはこのような考え方が以前からあり、宣伝大臣を務めたゲッベルスは、1941年にこう記している。(ユダヤ人問題の最終的解決

「ユダヤ人の破滅は結果として必然だ。我々はそれに対して感情的になってはいけない。ユダヤ人に対して思いやりを持ってはいけない。」

確かに、ナチスはユダヤ人に対してそんな感情は一切なかった。

 

7歳のころのヒムラー
このころはまだ人間だった。

 

ヒムラーは「ゲシュタポ(秘密国家警察)」を使って、ヒトラーに批判的な人々を逮捕したり殺害したりして、国内の反ヒトラー勢力を恐怖と武力で抑え込み、声を上げられなくする。
この時点で、ドイツの民主主義は絶滅したようなものだ。
ゲシュタポは後に親衛隊に組み込まれ、ユダヤ人狩りをするなどして、絶滅政策に加担していった。

1945年4月30日にヒトラーが自殺した後、ヒムラーはイギリス軍に捕まり、捕虜として収容所へ送られた。ヒムラーは警察組織を支配してヒトラーの権力を支え、600万人のユダヤ人を虐殺したホロコーストで中心的な役割を果たしていて、アメリカやイギリスでは「ホロコーストの執行者」「強制収容所の支配者」として知られていた。

そんな人物が連合軍の裁判を受けたら、死刑以外の判決があるわけない。彼は、死ぬ未来は確定しているのなら、屈辱を受ける前にいなくなったほうがいいと考えたらしい。
1945年5月23日、ヒムラーは、奥歯に隠し持っていた毒入りカプセルを噛み、10分以上苦しんで死亡した。

 

ヒムラーのデスマスク

 

ヒトラーとヒムラーが自殺した間、1945年5月8日にナチスは連合軍に降伏した。現在のヨーロッパの多くの国で、この日は「戦勝記念日」(Victory in Europe Day)となっていて、地獄の終わりを祝う式典が開かれる。

一方、ドイツでは5月8日を「解放の日」としている。
1985年、当時のヴァイツゼッカー大統領がこの日を「ナチスによる暴力支配という人間蔑視の体制からの解放の日」と表現し、その後、ドイツ社会でこの表現が定着した。
ドイツにとって5月8日は絶対に忘れてはいけない日。だから、今年、ドイツ大使館は「X」において、ドイツの無条件降伏によってヨーロッパにおける第二次世界大戦が終わったことに触れつつ、次のように訴えた。

「歴史から責任が生まれます。これは、平和、民主主義、法治国家を守り続けることを意味します。これこそが、私たちの自由への投資なのです。」

こんなメッセージがあると、「ドイツは過去をしっかり反省している。それに比べて日本は…」と歴史に無知な人たちが出てくる。
日本は国家として、台湾人や朝鮮人を絶滅させようと計画したことはないし、ヒムラーのようにそれを実行した人物もいない。
日本とドイツの歴史は別のもので、両国はそれぞれ過去を直視している。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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