地震大国として知られるニホン。
その第一号は、599年のきょう5月26日に起きた推古地震だ。この地震の発生と被害状況は『日本書紀』に記されていて、記録に残る地震としてはこれが日本最古になる。多くの建物が倒壊したことで、朝廷は「地震対策」として地震の神を祭らせたという。
日本は「プレートガチャ」では大ハズレを引いたから、この時(実際はずっと以前)から、日本人は地震とどう付き合っていくか、どれだけダメージを少なくするかを考えるしかなかった。そんなわけで日本人は地震に慣れているけど、外国人はそうでもなく、日本に来て初めて地震を経験したという人は多い。
10年ほど前、浜松の語学学校に通っていたタイ人の知人もその1人。
ある日の授業中、生まれて初めて体で感じるほどの揺れを感じ、彼はパニックになった。でも、それは一瞬で、日本人女性の先生が「あれ? 揺れてますね。もう少し様子を見ましょう。この建物は崩れません。大丈夫ですから、そのままでいてください」と言うのを聞いて落ち着き、しばらくしたら本当に揺れは収まった。その若い女性の先生が頼もしく見えた瞬間だ。
驚いたのはその後で、彼の感覚では、安全第一で授業を中断して家に帰るべきだと思ったのに、「ハイ、では授業の続きをします。教科書を開いてー」と何事もなかったかのように再開しやがった。その若い女性の先生が鬼に見えた瞬間だ。
そんな彼は今は母国に戻り、バンコクに住んでいる。日本を離れた理由のひとつに、地震の恐怖があったかもしれない。
地震の悪夢から解放された彼が、ことし3月28日、再び地震に襲われた。この日の13時30分ごろにミャンマーで大地震が発生し、それがバンコクにも伝わり、現地の日本人が震度2〜3ほどの揺れを感じる地震が起きた。
彼はすぐに「地震だ」とピンときたけれど、それまで一度も地震を体験したことがない人も多く、一緒にいた同僚は何が起きたか分からなかった。突然、感覚がおかしくなって体が揺れているのかと思ったら、誰かが「地震だ!」と叫ぶのを聞いて、初めてその正体が判明した。異常が発生したのは自分の脳ではなく、大地だった。
タイでは、この後の対応が日本とは違う。
彼が言うには、タイでは揺れの大きさそのものよりも、耐震性の弱さのほうが危険で怖いから、すぐに外に出ることが重要な「命を守る行動」になる。彼や同僚はスマホと財布など最重要アイテムを持って急いで階段を降りた。外に出ると、泣いている女性や気分が悪くなって倒れている人がいて、ちょっとしたパニック状態になっている。
SNSでは、高層ビルの屋上にあるプールから大量の水が落ちる恐怖映像があったり、「◯時◯分にまた地震が発生する!」という(デマ)情報が流れていたりして、混乱はさらに広がった。
その日の仕事はそこで終わり、家に帰ることになったが、それはみんな同じだから、すさまじい渋滞が発生していて、通常2〜30分で帰れるところが、3時間以上かかってしまい、彼は心身ともにヘトヘトになった。
結果的に見れば、この地震によってバンコクで倒壊した高層ビルはひとつしかない。それも建設中で、後に安全基準を満たしていないことが発覚した手抜きビルだ。
日本人からしたら、きっと過去に経験したことのあるレベルの揺れで、大騒ぎになるほどではない。体感震度3ごときで、大人が泣くほどの恐怖を感じていたら、日本に住むことはできない。
でも、今回のタイ人の反応を知ると、本来地震は神に祈るほど恐ろしいもので、慣れた気になってはいけないと少し反省した。

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