【厄災の原因】昔、日本人は怨霊、ヨーロッパ人は神の怒りと考えた

日本は海外に比べて落雷が多い国で、AIによると毎年約20人が雷による被害にあい、約13人が死亡している。この気象現象の仕組みはすでに解明され、世界共通の知識となっているが、科学が発展していなかった時代、雷が発生する理由はそれぞれの文化や信仰によって違っていた。
930年のきょう7月24日、天皇の住まいである清涼殿に雷が落ち、2人の貴族が亡くなった。当時の日本人はそれを、菅原道真の怨霊のしわざだと考えた。

子供のころに「神童」と呼ばれた人物が、平凡な大人になることはよくある。
道真はその逆だ。彼が成長すると、むしろその優秀な頭脳に多くの注目と称賛が集まり、宇多天皇に「こいつ、できる」と認められ、右大臣という高い地位に出世した。しかし、名門の藤原家ににらまれ、「あいつ、醍醐天皇を廃位しようと企(たくら)んでいますよ」といった嘘の罪をでっち上げられ、京都から遠く離れた九州の大宰府に流され、貧困に苦しみながら亡くなった。

その数年後、藤原家の2人が病気で相次いで亡くなったため、道真の怨霊の仕業だというウワサが広まった。「不幸は友だちを連れてやってくる」という。今度は清涼殿に雷が落ち、多くの貴族が死傷したことから、人びとは「やっぱり道真公の怨霊のせいだ!」と信じ、恐怖に震えた(清涼殿落雷事件)。
朝廷は道真の怒りや恨みを鎮めるため、北野天満宮を建て、彼を神として祀った。それだけでなく、道真を最高位の太政大臣に任じた。
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」のように、人びとは菅原道真の無念の死を「怨霊」と結びつけ、恨みを晴らすためにできる限りのことをした。

こんな感じに、日本では不幸な出来事が起こると、それを怨霊のしわざだと考える信仰があった。菅原道真、平将門、崇徳天皇の3人は特に恐れられ、「日本三大怨霊」と呼ばれている。
では、科学が未発達だった時代、ヨーロッパの人たちは災害の原因をどう考え、どうやってそれから逃れようとしたのか。

 

菅原道真

 

14世紀、空気感染で広がる黒死病がヨーロッパで大流行し、推定5000万人が命を落とした。この病気によって、ヨーロッパ全体の人口の半分が失われたという見方もある。
黒死病の流行は、ヨーロッパの歴史の中でも最も重大な出来事のひとつで、社会や経済、人々の価値観に大きな変化をもたらした。

 

黒死病で、指先の肉が死滅して黒くなった。
黒死病を英語にした「ブラック・デス」は、最上位の攻撃系魔法のような恐ろしい響きがある。

 

人びとの体が黒くなり、激しい苦痛を訴えながら死んでいく。当時のヨーロッパ人にその原因はペスト菌という、目には見えない細菌にあるということが分かるわけない。
そのため、多くのキリスト教徒は、この疫病を自分たちの犯した罪(sins)に対する神の罰だと考え、神の赦(ゆる)しを得ることで状況を改善できると考えた。

Many believed the epidemic was a punishment by God for their sins, and could be relieved by winning God’s forgiveness.

Black Death

 

神の怒りを鎮めるため、教会で祈ったキリスト教徒もいれば、異教徒であるユダヤ人を殺害する人たちもいた。ヨーロッパの各地でこの蛮行がおこなわれ、1349年には、フランスの都市ストラスブールで生きたまま焼かれるなどして、約2000人のユダヤ人が虐殺された
この時、ユダヤ人がスケープゴート(生贄)にされた背景には、ほかにも彼らが井戸に毒を入れてという話が広まったことが挙げられる。また、多くのユダヤ人は金貸し業をしていたから、彼らを殺すことでキリスト教徒は借金を帳消しにすることができたという、悪魔のような話もある。

 

黒死病が流行し、火刑に処されるユダヤ人

 

病気や落雷で人が死ぬと、平安時代の日本人はその厄災を怨霊のしわざだと考え、その人物の怒りを鎮めるために神社に祀った。一方、中世ヨーロッパのキリスト教徒は黒死病を「神の怒り」と考え、赦しを得るためにユダヤ人を迫害した。
科学が未発達だった時代、恐怖の原因を超自然的なものに求める考え方は共通していたが、それを鎮める方法は全く異なっていた。歴史を振り返ると、一神教の世界では異教徒に対してとても残酷な一面があったことがわかる。

 

 

ヨーロッパ 「目次」

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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