2024年、コメが品薄になり、SNSでは「スーパーに行ってもお米がない!」という「コメ難民」が続出した。コメの価格は昇竜拳のようになり、翌年には2倍以上に。庶民は困り果て、ネットでは「平八郎ー!! 早く来てくれーっ!!!」と救世主を求める人もいた。
1830年代に天保の飢饉が発生し、商人がコメの買い占めをしたことなどが原因で、コメの価格は高騰し、餓死者が出るような地獄絵図となる。大塩は困窮する庶民を救おうと武装蜂起した。
現代の日本人は洗練されているから、幕末のような事態にはならなかったが、農林水産相が「私はコメは買ったことはありません。支援者の方々がたくさんコメをくださる」と空気を読まない発言して、更迭されるぐらいの出来事はあった。
日本で米騒動は平成やそれ以前にも何度も発生しているが、特に有名なのは大正時代の大正時代の米騒動だ。米騒動の第一号はどうしうて起きたのか?
「他人の不幸は蜜の味」という。
コメ不足になって庶民が困ると、その状態をチャンスと考え、コメの買い占めに走る強欲商人は昔からいる。しかし、やり過ぎると逆襲をくらうというのが歴史の法則だ。

ロシア帝国は多くのポーランド人政治犯を多くシベリアに送り込んだ。ロシアで革命が起こり、ポーランドが独立すると、シベリアには多くのポーランドの孤児が取り残された。シベリア出兵の際、日本はその孤児たちを救い、これが日本とポーランドの友好関係の基盤となった。
写真は孤児たちを日本へ運んだ駆逐艦。

焼き払われた鈴木商店の本社(神戸)
この時も、日本国のピンチをチャンスを考える悪いヤツラが現れた。
1918年8月2日、シベリア出兵が発表されると、一部の人あちは「これからコメ価格は急騰するに違いなし!」と考え、コメを買い占める動きが加速した。
※ちなみに、1917年にもシベリアへの出兵はおこなわれていた。
悪者の嗅覚は鋭い。彼らの予想は当たり、8月1日には1石35円だったコメの価格が、8月5日には40円、9日には50円を超え、米が手に入らない国民が続出した。
中国の歴史を振り返ると、庶民のハングリーはアングリーに変わって暴動が発生し、それが革命につながったことが何度もある。
大正時代には8月10日以降、全国の都市で米騒動が発生し、「米を買い占めている悪徳業者」と言われた鈴木商店は焼き討ちにあった。東京では民衆が暴徒となり、電車や自動車を破壊したり、吉原遊郭に火を放つなどして、社会は騒然となる。
日本初の「米騒動」は全国の1道3府37県で発生し、数百万人が参加した。これを鎮圧するために10万人以上の軍隊が動員され、約50日かかった。
庶民の食に対する恨みは本当に恐ろしい。

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