ことしの4月に来日して静岡の大学で4ヶ月ほど学び、もうすぐ帰国するというインドネシア人の男性、アディと知り合った。彼はシンガポールから船で1時間ほどのところにあるビンタン島の出身で、日本に来る前までマレーシアの大学に通っていたらしい。
そんな彼から、オランダの植民地支配について話を聞いたので、今回はそれを中心に書いていこう。

ビンタンビール
ーー「ビンタン島」というキャッチーな名前を聞いて、ピコーン! とひらめいたことがある。
インドネシアを旅行していたとき、サテ(串焼き)といっしょによくビンタンビールを飲んだよ。あのインドネシアを代表するビールの名前は、その島に由来するんじゃないの?
それは違います。ビールのビンタンはインドネシア語で「星」を意味していて、ラベルにある星のマークを表しています。島のビンタンとはスペルが違うんですよ。
ーーでも、ビンタン島が「地上の星」と呼ばれているってことは…。
ありません。あきらめてください。あなたの直感は間違っていたんです。
ところで、ビンタンビールのラベルにある「赤い星」は、ハイネケンと同じなんですよ。ハイネケンって知ってますね?
ーーバーラト星系にある第四惑星で、自由惑星同盟の首都。
そうですね。ハイネケンはオランダを代表するビールブランドで、ラベルに赤い星があります。ビンタンビールの星もそれと同じなんです。
ーーそれを聞いてひらめいた。インドネシアはオランダの植民地だったから、その歴史と関係しているのでは?
今度は正解です。
第二次世界大戦がはじまる前、オランダ人が工場を建てて、インドネシアでのビールづくりがはじまったんです。そんな縁があって、今のビンタンビールはハイネケン・グループに属しています。

戦後の一時期、ハイネケンの「赤い星」は共産主義を連想させるため、赤から白色に変えられた。
ーー歴史の傷を掘り返すようで申し訳ないのだけど、インドネシアはオランダに300年以上も支配されていた。アディはそれについてどう思う?
その当時のオランダは嫌いですけど、今のオランダは好きですよ。ほとんどの人がそう思っているんじゃないかな。今では、オランダのサッカー選手が帰化して、インドネシア代表になることも多いですし。
ーー日本に対する韓国民の考え方とはかなり違う。
オランダについてどう思うか、インドネシア国民にアンケートをとったら、一番多い答えは「とくに何も思わない」でしょうね。オランダはとても遠くにあるので、生活していて意識することはほとんどありません。
韓国人は今でも日本に怒っているのは、「隣にいるから」ということが原因にあるんじゃないですか?
ーーたしかに。日本とヨーロッパぐらい離れていたら、接点が少なくて、お互い関心も薄かっただろうね。
ーー当時のオランダで、アディが嫌いなのはどんなところ?
オランダ人はインドネシア人を「未開で遅れた人間」と蔑視して、差別的に扱っていたところですね。暑いインドネシアで、人々に厳しい農作業をやらせ、その犠牲で彼らは豊かな暮らしをしていました。
オランダ人の言うことを聞かない人は拷問され、殺されることもあったという話を聞いたら、好きになることなんてできませんよ。
ーーでも、「光」の部分はなかった? 知人のインド人はイギリスの支配について、全面的に悪いことばかりじゃなくて、インドの近代化に貢献した面もあると評価していた。
それはオランダも同じです。ダムや道を建設してインフラを整備して、それがその後の発展につながりました。
わたしの友人がオランダへ行ったとき、建物や街の景色がインドネシアと似ていたから、「第二の故郷みたいに感じて、うれしくなった」って言っていたんです。
ーーそうか。それは台湾人を愛知の「明治村」へ連れて行ったときの感想と似ている。日本は1985年から1945年まで台湾を統治していた。だから、彼らは明治村にあるレンガ造りの建物を見て、「今でも台湾にこんな建物が残っているんです! なつかしい感じがします」って笑顔で話していた。
そう言えば、台湾人は日本に怒っていませんね。
ーーそこは重要なポイントだ。

植民地時代にオランダ船が使っていたイカリ
わたしは、孫に祖父母の罪の責任を負わせてはいけないと思っています。でも、歴史をゆがめることには反対です。
ーー具体的には?
あるオランダ人がネットで、インドネシアの統治について「誇らしいこと」だと書き込んでいたんですよ! 当時、オランダは海外に領土を持っていたので、彼はその時代の母国を「強大な国」だと考えていたようです。それを見て、すごく腹が立ちました。
ーーそれは過去のことじゃなくて、現代の問題だな。まぁ、日本と韓国も過去の歴史そのものより、その解釈の違いで対立しているんだけど。
でも、どこの社会にも例外はいます。多くのオランダ人は「悪いことをした」と考えているので、わたしも植民地支配について彼らを責めるつもりはありません。
大切なことは未来で、それには歴史と経済の2つの面があると思います。
最も重要なことは、二度とインドネシアが他国に支配されないことで、そのために歴史を学ばないといけません。でも、恨みや憎悪は必要ありません。
インドネシアとオランダが協力したら、両国の発展にとってプラスになるので、歴史についてもその観点から考える必要があります。
ーービンタンビールとハイネケンの星みたいにね。
うまいことを言いますね、って言えば満足しますか?
以前ネットで、インドネシア人がオランダの植民地支配について議論していたので、彼らのコメント(原文は英語)を紹介しよう。
・オランダの植民地支配は、まさに歴史上の悪夢だった。フランスやイギリスは植民地の人たちと言語や文化を共有していたが、オランダ人はインドネシアの住民を侮蔑的に見ていて、自分たちの言語や文化の「純粋さ」を守るために、インドネシアの言語や文化を受け入れることはなかった。
・私は戦後のオランダのほうが許せない。彼らは自由パプア運動や南モルッカ人など、インドネシアからの独立を目指す分離勢力を支持して、混乱を広げた。また、インドネシア国内で麻薬犯罪者に死刑が宣告されたとき、オランダは「人道的な立場」からその執行停止を求めた。
インドネシアは他国の主権を尊重するが、オランダ人はとてもごう慢だ。インドネシアをまだ支配していると考えているのだろうか。
・多くのインドネシア人は、オランダの植民地時代を搾取と抑圧の時代だと考えていて、それが終わることのない不満の原因となっている。いっぽうで、一部のインドネシア人は、オランダが建築や教育、インフラに貢献したことを評価している。
・過去の歴史よりも、現在の価値観の違いから、わたしはオランダを好きになれません。
インドネシアではイスラム教の影響がとても強いので、売春制度や同性婚を認めるオランダ人の考え方に嫌悪感をもつ人が多いです。彼らの自由は行き過ぎています。
・世代によって、オランダに対する見方は大きく異なる。植民地支配の苦しい経験をした祖父母のような世代は、オランダに対して否定的な考えを持っているが、若いインドネシア人はグローバル化の影響で、中立的または肯定的な見方をする人が多い。
・わたしの祖父母は今でも白人を「オランダ人」と呼び、彼らへの怒りを何度も口にしている。
・あの時代、インドネシアが植民地化されることは避けられない運命でした。
わたしたちを占領したのがオランダ人だったことに、少し感謝しなくてはならないかもしれません。というのは、海外には、ヨーロッパ人にすべてを奪われ、すべての住民が殺された地域もあったからです。オランダ人はそこまで残酷ではありませんでした。
・私が知るインドネシア人のほとんどは、今でもオランダに恨みを抱いている。最近のインドネシア人は他人の感情を害したくない、またはリベラルを自称しているため、オランダへの怒りを口にしない。しかし、個人的には、オランダ人に対してまったく恨みを抱いていないインドネシア人に出会ったことがない。
・植民地時代、オランダはインフラを整備し、インドネシアの発展に貢献したが、私はまったく感謝していない。むしろ憎んでいる。その時代、オランダがインドネシアから奪ったものの方がはるかに大きいからだ。私の祖父は、かつてオランダ人から拷問を受けた時のことをよく話していた。本当に恐ろしい時代だった…。
・いじめっ子といじめられっ子が成長して、今では仲良く付き合っている。それだけのことだ。
・わたしは小学生のころから、オランダ人はインドネシアの資源を枯渇させ、人々を殺し、古代王国を踏みにじったと教わってきました。いま振り返ると、オランダを憎むように教えられたと思います。
・国際司法裁判所がハーグにあり、オランダ人は自分たちを「人権の擁護者」だと思いたがっている。彼らはひどいことをしていたし、今も手を汚している。しかし、それを認めようとしない。
・わたしの先祖にはオランダ人がいるため、複雑な感情を持っています。歴史的には嫌いですが、オランダ文化は大好きです。

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