8月7日は「やな日」どころではない。日本にとっては、まさに地獄がはじまった日だ。
太平洋戦争中の1942年、この日にアメリカ軍がガダルカナル島に上陸し、ガダルカナルの戦いが始まった。
結果として、日本軍はこの戦いで約2万人の兵士を失い、歴史に残る大惨敗をしてしまう。日本陸軍にとってガダルカナルとは「墓地の名である」とまで言われた。絶対に負けてはいけない戦いを落としたことで、日本の運命は暗転した。

1942年8月7日、ガダルカナルに上陸する米海兵隊
アメリカはどのようにして、日本に勝とうと考えていたのか?
6人の研究者が日本軍の敗因を詳しく調べた『失敗の本質』(ダイヤモンド社)によると、「米国の対日戦略の基本は、日本本土直撃による戦争終結にあった」という。
米軍は爆撃機を飛ばして日本の都市に大量の爆弾を落とし、日本にギブアップ(降伏)を言わせようとしていた。
結果として、これは「正解」だった。東京大空襲で10万人が殺害され、その後も日本各地が爆撃され、広島と長崎に原子爆弾を投下されて日本は力尽きた。
米軍が日本本土空襲を可能にするには、日本の近くに爆撃機が往復できる基地を確保する必要があった。そのため、米軍は太平洋を西からではなく、南側から島々を制圧しながら北上し、1944年7月にはサイパンの戦いに勝利した。
サイパン島を奪われると、アメリカはB−29爆撃機を使って本格的に日本本土を空襲することが可能になる。それは日本にとって致命的な状況だった。
日本軍は「絶対防空圏」を設定してサイパン島を死守しようと奮戦したが、最終的には玉砕してしまった。
その後、サイパン島から次々とB−29が飛び立ち、日本の主要都市は爆撃されて焦土と化した。

Bー29爆撃機が並んでいるサイパンの飛行場。背筋が寒くなるような光景だ。
この米軍の「北進」の起点となったのが、ガダルカナル島の戦いだった。地図を見ると、オーストラリアの右上にこの島がある。
ここを奪われたことで、それまで連戦連勝だった日本陸軍のターンは終わり、防戦一方となる。そして、最終的にはアメリカの思惑どおり、「日本本土直撃による戦争終結」という目標が達成された。

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