9月1日は、日本では1923年に10万人以上の死者を出した関東大震災が起きた悲しい日。
いっぽう、世界中のシク教徒にとっては歓喜の日だ。1604年のこの日、シク教の聖典がインド北部パンジャーブ州アムリトサルにある黄金寺院(ハリマンディル・サーヒブ)に安置されたから。この寺院のあるアムリトサルは聖地になっていて、巡礼に訪れるシク教徒は絶えない。
シク教は15世紀にグル・ナーナクがインドではじめた宗教で、彼の弟子(信者)は「シク」と呼ばれ、それがこの宗教名になった。
かつては代々「グル」と呼ばれる指導者がいたが、今では聖典そのものが「永遠のグル」として信者に崇拝されている。
約40年前、この黄金寺院で大事件が起き、日本人も間接的に巻き込まれて2人が死亡した。
※黄金寺院は正式には「ハリマンディル・サーヒブ」と呼ばれ、、海外では「黄金寺院(Golden Temple)」として知られている。

シク教では、男性の信者が髪を切ることを禁止している(詳細は時代や個人によって異なる)。そのままだと不便なので、彼らはターバンで髪をまとめている。
インドにはヒンドゥー教やイスラム教など、さまざまな宗教の人がいて、宗教対立は「社会のガン」と言っていいほど深刻な問題だ。だから政府は個人の信仰をとても尊重し、できるだけ規制をかけない。たとえば、シク教徒の男性はターバンのせいでヘルメットがかぶれないので、バイクに乗るときも「ノーヘル」が特別に認められている。
しかし、インドには超えてはいけない一線がある。
パンジャーブ地方には昔から、インドからの分離独立や自治権を求める人がいたて、1984年、その過激派が武装して黄金寺院に立てこもった。
インド政府にとって「離脱」は絶対に認められない。政府は軍を派遣し、戦車やヘリ、大砲まで使って黄金寺院を攻撃し、過激派リーダーのビンドラーンワーレーを排除(殺害)した。
この作戦はインディラ・ガンディー首相の命令で行われ、「ブルースター作戦」と呼ばれる。
多くの民間人も巻き込まれ、1万人以上が死亡したという説もある。
ビンドラーンワーレーについて、日本語版ウィキペディアには、シク教の国である「カリスタン」の建国を支持したと書かれているが、英語版では「彼自身はシク教国家の建設を主張していなかった(he did not personally advocate for a separate Sikh nation)」と説明されている。
経験的に、海外の出来事は英語版のほうが正確なことが多い。

黄金寺院で聖典に安置された建物を守るシク教徒
結果として、ブルースター作戦は軍事的には成功したが、政治的には大失敗で、インド政府がトラウマになるような大惨事を引き起こした。
もっとも神聖な聖地が攻撃されたことで、シク教徒の怒りは頂点に達する。政府が支援して黄金寺院を修復しても、「汚れた金が使われた」として破壊し、自分たちで建て直した。
軍が黄金寺院を冒涜したことで、インド全土のシク教徒が激怒し、数千人の若者が「カリスタン運動」に加わった。
Outraging Sikhs all over India, with most finding it unacceptable that the armed forces had desecrated the Golden Temple, thousands of young men joined the Khalistan movement
その後、過激なシク教徒による「報復テロ」がインド内外で多発する。
1984年10月31日、作戦の責任者であるインディラ・ガンディー首相がシク教徒の警護警官に銃撃され、暗殺された。
翌年1985年、手荷物に仕掛けられた爆弾が爆発し、エア・インディアのジャンボ機が北大西洋上で墜落して329人が死亡(エア・インディア182便爆破事件)。
同年6月、成田空港でもエア・インディア機に積む予定だった手荷物が爆発し、作業員2人が死亡、4人が重傷を負った。この「成田空港手荷物爆発事件」も過激なシク教徒の犯行だった。
軍事作戦の余波は今もつづいている。
2023年には、カナダでインドからの分離独立を主張するシク教指導者が暗殺され、カナダ政府はインド政府のしわざと非難すると、インド政府は全面否定し、逆にカナダを批判した。両国の対立は激化し、外交官を追放し合う事態に発展する。
インド政府が1984年に軍事作戦を行ったのは、分離独立を阻止するためだった。しかし、それは世界中のシク教徒を激怒させ、独立運動はむしろ激化するという正反対の結果を招いてしまう。各地でテロが起こり、インド政府は大きなダメージを受けた。
インド社会では、宗教や文化への尊重は絶対に欠かせない。その姿勢を欠き、神聖なものを汚せば、大惨事を引き起こす――このブルースター作戦はそれを強く示した。

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