上皇さまは1933年12月23日にお生まれになったので、平成まで今日は天皇誕生日の祝日だった。
また、12月23日は1948年に、7人の戦争犯罪人が処刑された日でもある。
戦後、日本は連合国軍(GHQ)の占領下におかれ、極東国際軍事裁判(東京裁判)で「戦勝国」によって裁かれた。首相だった東條英機や陸軍大将だった板垣征四郎らは死刑を言い渡され、この日に絞首刑がおこなわれた。
当時の皇太子(上皇さま)の誕生日に処刑されたのは、とても偶然とは思えない。
連合国側はお祝いムードの日本国民に冷や水をぶっかけ、敗戦国の立場を理解させたかったのだろう。

護送されるA級戦犯ら(1946年)
8年近く前、韓国メディアの中央日報にこんなコラム(2018.03.06)があった。
【グローバルアイ】日本のあるバーテンダーとの対話=韓国
日本の地方都市を訪れていた韓国人記者が、たまたま入ったバーで、バーテンダーの日本人と話をすることになった。
その日本人は(珍しいケースだと思うが)、慰安婦問題について日本政府は何度も謝罪をしていることを挙げ、「過去の過ちを子孫にまでずっと責任を問うことはできない」と強調する。
記者は「やはり慰安婦問題は許すことができないのですか」と聞かれ、日本で韓国に対する認識が悪化していることを肌で感じたという。
いっぽう、韓国社会でも日本に対する見方は悪化していた。
反日感情は過去より激しくなったようだ。韓国が被害者であるだけに反日は正当だということに陥没している感じだ。
韓国側が被害者感情から日本に「真の謝罪」や「正しい歴史の直視」を要求し、日本側がウンザリするという構図は今も変わっていない。
日本に対する韓国人の深い恨みや怒りは、戦後直後、連合国から「塩対応」をされたことに由来すると思われる。
日本がアメリカに降伏すると、朝鮮半島の人たちは日本の支配から解放され歓喜した。その直後から、韓国は連合国(=戦勝国)の一員になろうと全力をあげた。
韓国側は、1941年に大韓民国臨時政府が日本に対して宣戦布告をし、戦ったことを根拠に、サンフランシスコ平和条約への参加を強く訴える。
しかし、アメリカをはじめとする連合国側は、大戦中、朝鮮(韓国)は日本の一部として、むしろ日本の戦争遂行に寄与したと考え、韓国の要求を却下した。
そもそも連合国は大韓民国臨時政府の存在を認めていなかったし、韓国が組織的な軍隊として日本と交戦状態にあったとは見なさなかった。
韓国は大反発し、「韓国を連合国の中に置かねばならない」と強く主張し、サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加することを繰り返し訴えた。しかし、アメリカやイギリスの答えは「NO」。
結局、韓国の参加は許可されなかった。
韓国は戦勝国になることが認められなかったため、戦後、当事者になることはできなかった。日本によって35年間にわたる支配を受けながら、みずからの手で日本を裁き、責任者を罰して法的な決着をつける機会は永久に失われた。
ここに、今に続く韓国の深い葛藤や恨みの核心があるだろう。
歴史に「タラレバ定食」は無いけれど、もし当時、韓国が戦勝国として法廷に立ち、戦犯に判決を言い渡し、「悪(加害者)に対する正義の裁き」をおこない、皇太子の誕生日に東條英機ら処刑することができていたら、国民は感情的なカタルシス(浄化)が得られていただろう。
しかし、実際には連合国が日本を裁くのを、傍観者として見ているしかなかった。
戦勝国という立場で日本を裁くことができなかったという事実は、韓国民の中に「未完の清算」という感覚を強く残したはずだ。支配されたにもかかわらず、「正義」を実現できなかったという無力感は「恨(ハン)」の感情を増幅させ、現在まで続く強烈な被害者意識の源泉となっていると考えられる。
戦後80年が過ぎても、韓国は日本に謝罪を求め続け、被害者であるだけに反日は正当だということに陥っている。
これは、戦後直後に得られなかった「当事者としての納得感」を今でも求め続けていることの表れだろう。
日本はとてもついていけないけれど。

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