台湾と韓国の間で起きた「名前の呼び方」をめぐるトラブル。
これは単なる言葉の問題ではなく、中国を巻き込んだ複雑な国際関係が隠されている。
今回は韓国の難しい「立ち位置」を見ていこう。
台湾が問題視した韓国の「表記」
つい先日、台湾が韓国に対して不満をあらわにし、表記を「韓国」から「南韓」に変更した。
これは小さな言葉の問題ではない。
この変化の裏には、韓国の国家としての立場や外交バランスなどが複雑に絡み合っているのだ。
朝鮮日報の報道から、いま韓国が中国と台湾のあいだで「難しい立場」に立たされていることが見えてくる(2026/03/19)。
韓国の「中国(台湾)」表記に反発した台湾、韓国表記を「南韓」に変更
きっかけは、韓国が電子入国申告書に「中国(台湾)」と表示されていることにある。
この表現には、台湾を「中国の一部」と位置づけるニュアンスが含まれている。
しかし台湾側は、自分たちを独立した存在として認識しているため、この韓国の表記は主権を軽視されたものと受け止められる。
台湾の対抗措置「南韓」という呼び方の裏側
「中国(台湾)」にしたら台湾が反発するのは当然で、韓国側もそれは想定内だったはず。
しかしそれに対して、台湾が「韓国」の表記を変更することまでは予想できなかっただろう。
台湾サイドは、「台韓は対等である」という原則にもとづき、台湾の「外国人居留証」での韓国の名称を3月1日から「南韓」に変更した。
この呼び方は単なる地理的表現のように見えるが、実は強いメッセージを含んでいる。
「南朝鮮」と「南韓」の違い
20年以上前、台湾の航空機を利用したとき、機内で配られた現地の新聞を見ていると、「南韓(または南朝鮮)」という見慣れない文字を見つけた。
一度、頭の中で「サウスコリア」と訳して、「ああ、韓国のことか」と気づいたのを覚えている。
南韓も南朝鮮も英語にしたら「South Korea」になるだろうが、韓国の人にとって受け止め方は大きく異なる。
おそらく「南韓」は地理的な区別として普通に受け入れられるが、「南朝鮮」は不快感を与える。韓国人がそう聞いたら、強く反発するだろう。
その理由は、「南朝鮮」は北朝鮮が使っていた表現だからだ。
北朝鮮は自らを「朝鮮」と称し、韓国を正統性のある国家と認めていない。現在の韓国政府は「アメリカの傀儡政権」であり、いずれは「解放するべき南の地域」という意味を込めて「南朝鮮」と呼んでいたのだ。
「南朝鮮」は北朝鮮の公式な用語だったが、2023年ごろから使われなくなった。これは「祖国統一」を目指さなくなったことの表れだと言われる。
韓国の人たちにとっては、「南朝鮮」よりは「南韓」のほうが良いFけれど、やっぱり、外国人居留証といった公式の書類には「韓国(大韓民国)」と書いてあることがベストだ。
※この辺については、韓国人読者の「Monte Cristo」さんの意見を聞いてみたい。
もともとこれは韓国への「仕返し」だ。
あえて「南韓」にすることで、台湾が韓国に対して不満を示し、距離を取ろうとしていることが読み取れる。
ちなみに、日本、米国、欧州では、出入国申告書やビザなどで台湾を「Taiwan」と表示している。韓国よりも「台湾寄り」という立場だ。
なぜ韓国は「中国(台湾)」にしたのか
では、なぜ韓国はこのような表記を使ったのか。
理由はシンプルだが、意味はとても重い。
要するに、中国との関係だ。
韓国にとって中国は、最大級の貿易相手というだけでなく、安全保障にも影響を持つ国だ。だから、その意向を無視することは絶対にできない。
「一つの中国」と板挟みになる韓国の現状
以前、韓国が迎撃ミサイル「THAAD(サード)」を配備したところ、中国を激怒させ、その「報復」によって韓国経済は大打撃を受けた。
ロッテがサード配備に協力したことで、特に狙い撃ちにされ、中国にあった99店舗のうち87店舗が営業停止に追い込まれた。

中国が絶対に譲れない「一つの中国」の原則に配慮すれば、台湾を独立した存在のように扱う表現は取れなくなる。
一方で、台湾は経済的に台頭していて、韓国とは人的なつながりも深い。
韓国はどちらにも配慮せざるを得ない状況にあり、「国民の利益」を第一に未来を見通して判断しないといけない。
今、韓国はとても難しい立場にある。
中国との関係を優先すれば、台湾との摩擦が生まれ、台湾に配慮すれば中国の反発を招く。
さらにその背後には、アメリカや日本との同盟関係も存在する。
こうした状況の中で韓国は、経済や安全保障で転落(失敗)しないように、「綱渡り」のようなバランス感覚が求められている。
その結果として、「中国寄り」になると、今回のように台湾の反発を招き、「南韓」という表現を復活させることとなる。
韓国は、中国と台湾のどちらかを完全に選ぶことはできない。
もちろん、それは日本も同じだが。
今回の一件は、そんな“中間国家”の苦しさが、一つの表現に表れた事例ということができる。

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