ザビエルとペリーの意外な共通点
今もそうだと思うけれど、日本の小学生向けの歴史教科書では必ずならう外国人が2人いた。
それがザビエル&ペリーだ。
戦国時代にやってきた宣教師のフランシスコ・ザビエルはキリスト教を布教し、幕末に来航したアメリカの軍人ペリーは徳川幕府に開国を要求した。
この2人には「キリスト教」という共通点がある。
ザビエルほどではなかったとしても、ペリーも熱心なクリスチャンだった。
ペリーは大統領の命令を受けて日本を開国させるため、日本について徹底的に調べ上げた。
これから、彼の記録をもとに、江戸時代に日本が鎖国を決めた理由を書いていく。
ここでは『ペリー提督日本遠征記【上下合本版】 (角川ソフィア文庫)』を参考に、「ペリーの認識」を重視するので、実際の歴史とは違う部分もあるかもしれない。
しかし、ペリーがそう考えていたことは事実だ。
それを踏まえたうえで、読み進めてほしい。

マレーシアでザビエルは日本人の「ヤジロウ」と出会い、彼の話を聞いて日本での布教を決意した。
ヤジロウは日本初のキリスト教徒となった。
日本人の宣教師に対する第一印象は?
ザビエルが鹿児島に上陸した時、日本は戦国時代の末期で、織田信長をはじめ多くの大名はこの新しい来訪者を歓迎した。
ヨーロッパ人という「未知の存在」に対して、日本人は警戒心と好奇心の入り混じった視線で眺めていたと思われる。
しかし、宣教師の紳士的な振る舞いを見て、好印象を持つようになった。
『ペリー提督日本遠征記』の中で、ペリーはその理由を次のように書いている。
「ザビエルと第一陣の宣教師たちが謙虚で徳があり、私欲にとらわれず、非常に慈悲深いきわめて模範的な人々だったからにほかならない」
※以下、「」の部分は『ペリー提督日本遠征記』からの引用。
ザビエルも日本人を好きになった。
日本人はもともと親切な国民で、彼らほど親切で思いやりのある人はどこにもいないだろうと書いている。
宣教師たちは日本人を愛し、無償で病人の治療を行っていたこともあり、日本人の信頼や敬意を得ることに成功した。
大名にとっては鉄砲や火薬が手に入るというメリットがあったため、ヨーロッパ人は日本で歓迎された。
キリスト教という新しい思想ではなく、大名には「とても役立つ新しい文化」が魅力的だったのだろう。
こうして宣教師はキリスト教の布教で「マスト」といえる条件、移動の自由を手に入れることに成功した。
「日本中どこへでも好きなところに旅することが許されていたのである」とペリーは書いている。
しかし、宣教師と日本の「マリアージュ(すばらしい関係)」もすぐに終わった。
宣教師が日本人に嫌われた理由
ペリーは過去の記録を調べ、後にやってきた宣教師たちのエラそうな態度によって、日本人がキリスト教を嫌いになったと指摘している。
キリスト教の聖職者たちは「その本分を忘れ、罪を戒めるどころか裕福な日本人に取り入り」、「実に俗人と変わりなく高慢だった」という。
宣教師の活動によってキリスト教徒になった日本人でさえ、次のように不快になっていった。
「彼らの精神的な師が魂の救済に費やすと同じくらいに、自身の富を築くことに多大な努力を払っているのを見て衝撃を受け、同時に嫌悪感を抱いた」
日本でキリスト教が衰退した原因について、ペリーは「宣教師の貪欲さ、好色さ、そして傲慢さのためなのである」と厳しく指摘する。
布教よりも、金持ち日本人に近づいて「金儲け」に走り、日本人の女性(または男性?)と性的な関係を結び、日本の文化を見下す。
宣教師たちのこうした態度から、日本人のあいだには不信の芽が生まれるようになった。

豊臣秀吉が宣教師に激怒した理由
こうなると、当時の最大実力者だった豊臣秀吉も、それまでのように寛大ではいられなくなる。
しかし、ポルトガル人たちはそんな冷たい視線に気づいていなかったらしい。
「かつて受けていた恩恵のかなりの部分を自らの高慢と貪欲のために失っていたにもかかわらず、かのうぬぼれの強い僧侶がその愚かで無礼な行いをするほどに、彼らの傲慢ぶりはもはや手がつけられなくなっていた」
ほかにも、ポルトガル人が日本人を奴隷として海外に売っていたり、キリスト教徒が寺や神社を破壊したことなども秀吉を怒らせた。
さらに、キリスト教の勢力が「王位の転覆」を計画していたことが発覚し、秀吉は日本人のキリスト教徒や宣教師を処刑したという。
ここでペリーが言っているのは、1596年の「サン=フェリペ号事件」のことだろう。
サン=フェリペ号の航海長デ・オランディアが、日本人にスペインが広大な領土を持つようになった理由を聞かれ、次のように答えた。
スペインは宣教師を世界中に派遣し、まずその土地の民衆をキリスト教徒にしたあと、彼らと協力してその国を征服するーー。
秀吉はこの「日本侵略」計画を知って激怒し、キリスト教の大規模な弾圧である「日本二十六聖人」につながった。

日本がキリスト教を排除し、鎖国した理由
ペリーは、新しい宗教に対して日本人は寛容だったが、宣教師たちはそうでなく、日本の文化を否定し社会の秩序を破壊しようとしたと非難し、こう結論づけている。
「キリスト教徒は宗教上の理由ではなく、政治的な理由で駆逐されたのである」
前半にやってきた宣教師は謙虚で徳があり、私欲にとらわれず、慈悲深い人々だったから、日本人の信頼を得ることができたが、後半にやってきた宣教師がそれをぶち壊した。
豊臣秀吉はキリスト教との共存は不可能と考え、ついに「バテレン追放令」を出す。

その後、豊臣家を滅ぼした徳川幕府もキリスト教に対して同じ方針をとり、「鎖国」につながった。
簡単にいえば、キリスト教の思想は当時の日本人の価値観と決定的に合わなかったことが判明し、「リスク管理」として追放されたことになる。
ペリーは鎖国の原因を徹底的に追求したことで、日本の開国を実現した。
ペリーは宣教師を非難しても、キリスト教自体は尊重している。
処刑された多くの日本人キリスト教徒を彼はこう賞賛した。
「苛酷な拷問とそれに耐えた男女や、ときには子供をも含む英雄的な信徒の記録ほど人の心を動かすものはない。彼らはみな、キリスト教信仰の誠意を証明したのである」

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