日本には豊かな四季があるけれど、正月は1年で1回しかない。
そんな常識が通じないのがインドネシアだ。
この南国は一年を通じて、平均気温が25度以上であって、感覚としては「夏」しかない。
しかし、新年は1年にいくつもある。
今回は、日本とインドネシアの「新年」を比べて、両国の文化的な違いと意外な共通点について書いていこう。
日本とインドネシアの正月の違い
以前、インドネシア人と話をしていたとき、日本との文化や社会の違いについて尋ねたら、「そうですね〜」と考えてから、彼は笑顔でこう言った。
「日本では、正月は1年に1回だけじゃないですか? でも、インドネシアでは4回もあるんですよ」
つまり、インドネシアではカレンダーが4種類あることになる。
彼の話によると、インドネシアでは新年のあいさつで「明けましておめでとう」に続けて、「わたしを許してください」と言うらしい。
この話を聞いて意外に思った。
個人的に、「インド」のつく人には「オアシス」傾向があると考えている。
オ…俺じゃない
ア…あいつがやった
シ…知らない
ス…済んだこと

インドネシア人は明るくフレンドリーで、細かいことを気にしない寛大な心を持っている。
しかし、素直に責任を認めて、謝罪することは少ないから、新年にそんなことを言うとは思わなかった。
しかし、そうかと思えば、日本の新年と「意外な一致」もある。
では、インドネシアの新年を紹介した後で、その共通点を説明しよう。
インドネシアでは1年に4回も「年が明ける」理由
インドネシアは日本と同じように、日常生活では西暦が採用されている。それにしたがって人びとは学校や職場に行って、社会全体が動いている。
だから、1月1日も新年で祝日に指定されているけれど、日本のように「三が日は休みになって、街中がお正月ムード一色になる」ということにはならない。
インドネシアでは1月1日だけが休みで、1月2日からは普通に学校や仕事が始まるから、位置づけとしては「ただの祝日のひとつ」という感じだ。
若者が集まってカウントダウンをして、花火を打ち上げて新年を祝う(楽しむ)ことはあっても、次の日から日常に戻るから、日本の正月のような特別感はない。
インドネシアでは1月1日をはじめとして、以下のような正月がやってくる。
中国暦の新年(春節)
インドネシアには、中国にルーツを持つ人たちが多く住んでいて、現地ではまったく珍しい存在ではない。
首都ジャカルタの知事になったバスキ・チャハヤ・プルナマ(中国語:鍾萬學)という人もいて、見た目は日本人とそっくりだ。
彼ら中国系インドネシア人は中国の伝統的なカレンダーにもとづいて、毎年、1月の終わりから2月の初めごろに新年を祝っている。
ことしは2月17日が正月だった。
ちなみに、これは韓国やベトナムの正月も同じだ。
明治時代に西暦を採用した際、日本だけが正月を1月1日に「引っ越し」て、東アジアを抜け出して西洋に近づいた。
バリ・ヒンドゥーの新年「ニュピ」
リゾート地として日本人にも人気のバリ島。
この島に住む人たちの90%はヒンドゥー教を信仰していて、西暦78年を起点とする「サカ暦」にしたがって、正月を祝っている。
バリ・ヒンドゥーの新年は「ニュピ」と呼ばれ、ことしは3月19日にあった。
ニュピの日、バリ島にいる人たちは家の中で瞑想をするなど、静かに過ごすことがお約束になっている。
人びとは外出することが禁止され、火や電気を使うこともできない。店は閉まって空港も閉鎖され、島全体が活動を停止するため、「静寂の日」と呼ばれている。
このニュピのルールは異教徒の観光客にも当てはまる。
それを無視して外出し、国外追放された外国人もいる。
コロナ禍のロックダウンに似ている気がするが、「街から音と光が消えた中で、自分自身を深く振り返る良い機会になった」という日本人もいた。
イスラム教徒にとっての新年(レバラン)
さまざまな宗教や民族がいるインドネシアで、社会で最も強い影響力をもつのがイスラム教だ。
人口の約90%がムスリム(イスラム教徒)だから、インドネシアにおいてイスラム教の存在感は本当に大きい。
世界中のイスラム教徒は、622年を起点とする「ヒジュラ暦」を採用している。
そのヒジュラ暦の1月1日が新年にあたるが、インドネシア人に聞くと、ラマダン月が終わった翌日のレバランが実質的な新年になっているという。
イスラム教徒はラマダン月の約1ヶ月のあいだ、昼間に食べたり飲んだりすることができない。
その断食期間が終わると、「イード(イード・アル=フィトル)」という祭りがはじまり、全世界のムスリムが喜びを爆発させ、家族や友人と食事をしたり、おしゃべりをしたりして楽しむ。
このアラビア語の「イード」が、インドネシアでは「レバラン」と呼ばれている。
インドネシア人にとっては、断食明けのレバランが日本でいう「正月」になり、ヒジュラ暦の新年よりもこの日のほうが盛り上がり、「新年」を実感する。
ことしのレバランは3月21日にあった。
「ニュピ」とは対照的にレバランは活動的な日で、人びとはモスクに行って礼拝をしたり、親戚やご近所と会って新年のあいさつを交わしたりする。
これがインドネシア人にとっての「心のお正月」だ。

インドネシアにはキリスト教徒もいる。
あるキリスト教徒のインドネシア人は、クリスマスにお菓子の詰め合わせをもらった。
多民族国家ならではの正月文化
「真実はいつもひとつ!」というのは、某名探偵の決めゼリフだが、多民族国家のインドネシアには「正解」がいくつもある。
日本で新年は1年に1回しかない。
しかし、インドネシアにいるヒンドゥー教徒やイスラム教徒、中国系の人たちは、それぞれの文化の「カレンダー(暦)」を持っているから、1年のうちに複数の正月がある。
どれも「本当のお正月」だから、インドネシアの人たちは自分の新年を祝い、相手の新年を尊重している。
日本でも外国人の住民は増えているけれど、日本は人口の約97%が同じ人間(日本人)という、世界的にみても同質性の高い国だ。
同じアジアの島国でも、多様性の洪水のようなインドネシアと日本では歴史や文化がまったく違う。

日本とインドネシアの意外な共通点
日本の「浄化」
しかし、日本とインドネシアの新年を細かく分析すると、共通点が見えてくる。
正月を祝うタイミングや方法は違っても、「心身のデトックス」をする点では同じだ。
日本では12月31日に、穢れや罪をはらうため、神社の「大祓」(年越の祓)の儀式をおこなう。

また、大晦日の夜、お寺では除夜の鐘をつくことになっている。
お坊さんが108回の鐘をつき、その音を聞くことで、欲望や執着、憎しみといった「煩悩」が消え去り、清々しい気持ちで新年を迎えることができる。
この神道と仏教の行事に共通するのは、気持ちよく新年を迎えるために、身体と心を清らかにするという点だ。
それに加え、新年の神(年神)をお迎えするため、各家庭で大掃除をして「場」もきれいにする。
インドネシアの「浄化」
インドネシアのイスラム教徒は「レバラン」を迎えると、家族や友人、職場の同僚などに「ラマダン明けおめでとう」とあいさつをした後、
「Mohon maaf lahir dan batin(モホン・マーフ・ラヒル・バティン)」
と言うことがよくある。
「自分の言動で、知らないうちにあなたを傷つけたかもしれません。もし、そうなら本当にすいませんでした。これまでの私の非礼や罪をお許しください」といった意味だ。
※「赦(ゆる)す」では重すぎると思うので、ここでは「許す」という言葉を使うことにする。
インドネシアの人たちにとってレバランは「お互いに許し合う日」でもある。
そう言って謝罪し、人間関係のわだかまりをなくして、真っさらな心で新年を迎えるのがインドネシア流だ。
この習慣は、インドネシア以外のイスラム世界では見られないらしい。
ジャワの伝承によれば、この「許し合い」の文化は15世紀からはじまった。
ジャワにいたイスラム教の聖人が人びとに許しを求め、また他者の過ちを許すことで、ラマダンの断食の完成度を高めるよう呼びかけたという。
in 15th-century Java, called for the Muslims to elevate the perfection of their Ramadhan fast by asking forgiveness and forgiving others’ wrongdoings.
バリ・ヒンドゥーの新年「ニュピ」でもこの考え方がある。
この日にすべてのヒンドゥー教徒がお互いを許し合い、これから訪れる新しい日々(年)を迎えることが奨励されている。
all Hindus to forgive each other and to welcome the new days to come.
この考え方はイスラム教が伝わる前からインドネシアにあり、イスラム教とヒンドゥー教に共通する文化となったのだと思う。
日本とインドネシアの「新年のデトックス」
インドネシアには色々な民族や宗教があるため、1年で新年が4回もある。
「オアシス」の思考回路など、日本人の常識や感覚が通じないことも多い。
でも、気持ちよく新年を迎えたいという思いは共通だ。
だから、インドネシアでも日本と同じように「心のデトックス」をおこない、心身を清らかにして新年を迎える文化がある。
やり方や形は違っても、「過去の悪事や過ちをリセットして、きれいな心で新しい年を始めたい」という気持ちはまったく変わらない。

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