外国人が日本に来ると、とんでもない誤解をすることがある。
東京に住んでいたある韓国人は、町中で童謡の『夕焼け小焼け』のメロディーが流れるのを聞いて「軍国主義の残滓(ざんし)」だと思ったという。

実は、日本に住んでいたイスラム教徒も「ある音」を聞いて、大きなカン違いをしてしまった。
イスラム教における「アザーン」の役割
年に一回の初詣でさえ「任意」になっている日本人と違って、イスラム教徒にとって1日5回の礼拝は「義務」であるため、しないという選択肢はない。
(とはいえ、必ずしもそれができない場合もある。)
そのため、イスラム教徒が多く住む国や地域では、お祈りの時刻になると(またはその時刻が近づくと)、モスクから拡声器を通して、町中にアナウンスが流れることがお約束になっている。
それが「アザーン」だ。

富山にあるモスク(イスラム礼拝所)
マスジドはアラビア語で、それがスペイン語の「メスキータ」を経由して英語の「モスク」になった。
だから、マスジドもモスクも基本的にはイスラム礼拝所をさす。
アザーンには歌を歌っているような独特のリズムがあるが、言葉でそれを説明するのはむずかしい。
「考えるな、感じろ(Don’t think. Feel!)」とブルース・リーも言っていたので、ここではイエメンの首都サヌアで鳴り響くアザーンを聞いて、そのリズムを肌で感じてほしい。
「アッラー・アクバル(神は偉大なり)」と言っているのが聞こえる。
エジプトで初めてアザーンを聞いてカン違い
そんなイスラム教の常識を知らなかったころ、エジプトを旅行中にカルチャーショックを受けたことがある。
朝の4時ごろ、いきなり大音量の声が聞こえてきたので、思わず飛び起きた。何かを話しているのは分かったが、アラビア語だったから1ミリも理解できない。
「もしかしたら緊急事態が発生して、住民に避難を呼びかけているのかもしれない。だとしたらヤバい!」とあせったけれど、宿の中はとても静かで、誰も外に出る様子がない。
心中は穏やかではなく、結局眠れなかった。
後で宿のスタッフに聞くと、あれはアザーンだと教えられた。
「イスラム教徒のみなさん、今は何をしていますか?お祈りの時間ですよ」と朝の礼拝を呼びかけていたのだ。
イスラム教徒が日本のアナウンスを「アザーン」と誤解
外国人のイスラム教徒が日本に来ると、この逆パターンを経験することがある。
前にインターネットで面白い話を見つけた。
あるイスラム教徒が日本に住みはじめたころ、アパートにいると、窓の外から「い~しや~きいもぉ~」という拡声器のアナウンスが聞こえてきて、「アザーンに似ているけれど、これは何だろう?」と不思議に感じたという。
次の日もだいたい同じ時刻に、同じアナウンスが聞こえてきたから、彼はこんなカン違いをしてしまった。
「やっぱりあれはアザーンだ!アラビア語ではなく、日本語で呼びかけているのだろう。ということは、この近くにイスラム教徒が住んでいて、モスクもあるんだ!」
彼は喜んで自転車に乗って、声がする方向に向かったが、声はだんだんと遠ざかっていく。
だから、「日本ではアザーンが移動するのか?」と疑問に思った。
最終的にアザーンではないことに気づいたが、その正体は分からなかったという。
後にそれが、石焼き芋の移動販売であることを知って、今となっては懐かしい思い出になっているという。
移動販売のアナウンスとアザーンの「共通点」
そんな話を知って「これは面白い」と思って、さっそく確認してみることにした。
パキスタン人のイスラム教徒3人に「いしや〜きい〜も〜」のフレーズを聞かせて、アザーンとの「互換性」について尋ねると、彼らは驚いた顔をしてこんな話をする。
「確かにこのリズムや響きはアザーンに似ている。懐かしい気持ちになったよ」
「アザーンと勘違いして、モスクを探す気持ちはよくわかる」
ちなみに、「た~けや~、さお~だけ~」や「わーらびーもちー、つーめたーくて、おいしーいよー」もアザーンに聞こえるという。
人びとの注意を引くには、ただ言葉にするだけではダメで、独特の抑揚やリズムが必要らしい。
令和の今、石焼き芋やわらび餅の移動販売はすっかり見なくなってしまった。
だから、文化の違いを原因として、こんなユニークな誤解をするイスラム教徒はもういないだろうけど。

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