パックス・トクガワーナ(徳川の平和)
江戸時代は、わが浜松の偉人・徳川家康が1603年に江戸幕府を開いてから、1868年に明治へ改元するまでの265年間続いた。
この期間、日本では島原の乱や戊辰戦争など、初めと終わりに大きな戦いがあったが、約260年にわたる江戸時代は、全体的には平和な時代が続いた。
この長期にわたる社会の安定は世界的にも珍しく、「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」と呼ばれることもある。
パックス(パクス)とは「平和」を意味するラテン語だ。
古代ローマでは約200年も平和な時代が続き、それは特別な期間とされ、「パックス・ロマーナ」(ローマによる平和)と表現されている。
パックス・トクガワーナはそれをなぞらえた言葉で、日本語にするなら「天下泰平」だろう。
では、なぜ江戸幕府はこれほど長く日本を支配し、平和を維持できたのか?
その理由について、「防衛」「秩序」「外交」の3つの視点から見ていこう。
防衛:徹底した反乱防止と徳川一強の維持
徳川幕府がもっとも警戒していたのは、全国の大名が反旗を翻すこと。
それを防ぐためには、大名の軍事力を削減するのが有効となる。そこで、幕府は1615年に「一国一城令」を出した。
全国の大名に対して、自分が住む城だけを残し、それ以外の城をすべて破壊することを命じたのだ。
大名たちはこの命令に従い、全国で約400の城が壊されたという。
一国一城令には、幕府に対する反乱だけでなく、大名同士が戦うことを防ぐ目的もあったため、大名にとってもメリットはあった。
さらに、反乱が起きたことを想定し、江戸をめざす敵軍の進軍を遅らせるため、幕府は大きな川に橋をかけることを禁止した。

「反乱予防」として決定的な政策だったのが、歴史の授業でおなじみの「参勤交代」だ。
大名を定期的に江戸と領地を往復させ、その負担で藩の財政を圧迫する。同時に、家族を江戸に住まわせて人質にすることで、謀反を起こしにくくした。
こうして他の大名の軍事力と経済力を大きく削ぐことで、「徳川一強」の状態を維持することができたのだ。
秩序:身分制度の確立と下剋上の防止
国内を安定させるには、人々が自分の立場をわきまえ、上の者に従う社会秩序が必要だった。
その基盤は豊臣秀吉がつくっている。
秀吉が農民から武器を取り上げる「刀狩」をおこない、社会では「兵農分離」が進んでいたため、幕府はこの流れを引き継いで社会の秩序をより強固に固定化した。
昭和世代の人なら学校の授業で、江戸時代の身分制度は「士農工商」の4つに分かれていたと学んだはずだ。
しかし実際には、そんなカースト制度のような4つの身分は存在していなかったことが判明し、現在の中学歴史教科書からは「士農工商」という言葉は無くなっている。
江戸時代、社会は大きく分けて3つの身分から成り立っていた。支配階級である「武士」、農民や商人などの「平人(へいにん)」、そして「賤民(せんみん)」だ。
全体的に、平人と賤民が武士に従うというピラミッド型の社会秩序を形成した。
また、江戸幕府は主君と家来、父と子の上下関係を絶対視する朱子学を公式な学問と定め、その教育が全国でおこなわれた。
そうして「忠孝」の道徳が社会に定着し、武士が支配する身分制度や主従関係が正当化され、社会の安定化につながった。
幕府にとって最悪の事態は、身分の低い者が実力で高い者を倒してのし上がる「下剋上」だ。
そのため、朱子学で「精神的な武装解除」をおこない、同時に武士を頂点とする支配体制を構築して社会に秩序と安定をもたらした。
外交:キリスト教の排除と限定的な貿易
徳川幕府の立場からすると、神を真の支配者と考え、神の前の平等を説くキリスト教は、先ほどの身分制度を否定し、幕府の支配を揺るがす「危険思想」と映った。
実際、1637年の「島原の乱」では、キリスト教徒が反旗を翻して幕府軍と戦っている。
これに衝撃を受けた幕府は「鎖国」政策を採用し、海外からその危険思想が流入しないようにした。
幕府は、キリスト教はいらなかったが、西洋の国との貿易は継続したかった。
オランダはキリスト教の布教には関心がなく、利益を求めたため両者の利害は一致し、幕府はオランダだけを交易相手に選んだ。
島原の乱において、オランダは幕府の味方をしてキリスト教徒のいた一揆軍を攻撃している。これも幕府がオランダを信頼する根拠となった。
こうして国内に危険思想が広がることを防ぎつつ、貿易の利益を幕府が独占する体制を整えたのだ。
「徳川の平和」が実現した理由
幕府は参勤交代や一国一城令によって、大名の軍事力と経済力を削いだ。
身分を固定化し、朱子学を導入して社会に秩序をもたらそうとした。
鎖国政策によって、外からの不安要素を遮断した。
以上の防衛、秩序、外交の3つが組み合わさることで、幕府は全国支配を維持することが可能となった。
その結果、世界史でも珍しい260年の長い平和、「パックス・トクガワーナ」を実現させたのだ。
しかしそれだけではなく、戦国時代が終わって平和な世の中になり、人びとがその状態を気に入ったことも「徳川の平和」に貢献したと思われる。
『応仁記』で描かれた「天下は破れば破れよ、世間は滅びば滅びよ。人はともあれ我が身さえ富貴なれば」というような、戦乱で荒廃した世の中なんて誰も住みたくない。

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