日本にいる韓国人は普通の日本人とどんな話をするのか?
中央日報にそんなコラム(2018年03月06日)があった。
韓国人の記者が地方都市にある小さなバーに行ったとき、そこのバーテンダーといろいろな話をしたことが書いてある。
このとき韓国人記者はバーテンダーから、韓国についてこんな質問をされた。
「やはり慰安婦問題は許すことができないのですか」
客として来た韓国人にこんなことを聞くなんて、なかなか大胆。
でも、「なんで韓国は歴史認識でくり返し日本を責めるのか?」と思っている日本人はほかにもいるから、バーテンダーは記者にこう話す。
「当時は戦争中だったし、日本だけでなく他の国々も慰安婦と似た制度があった」とし、謝罪することでもないが日本政府は何度も謝罪をしているというように話を続けた。彼は「過去の過ちを子孫にまでずっと責任を問うことはできない」と何度も強調した。
「日本だけでなく他の国々も慰安婦と似た制度があった」ということは事実で、韓国軍にも国連軍にも慰安婦はいた。
慰安婦という存在がいたことは戦争犯罪ではない。
それは別として、このコラムには「日本がこうやったら、韓国は日本を許す」ということは書いていない。
だから、韓国による謝罪要求がいつまで続くかはわからない。
ただ、記者は「確実に韓国に対する認識が以前より悪化していることを肌で感じる」と、日本に広がる嫌韓の空気に触れている。
このコラムの前の日、3月5日にこのブログの「検索キーワード」にこんな言葉があった。
「謝罪 いつまで」というのは、「韓国はいつまで日本に謝罪を求めるのか?」ということだろう。
これは中国ではなくて、きっと韓国のこと。
最近、日本にくり返し謝罪を要求しているのは韓国であって中国ではない。
中国を韓国と「同じ反日的な国」とみるのは不公平だと思う。
ちなみにイギリスとフランスも「仲が悪い」と言われているけれど、日韓のような反日と嫌韓の感情はない。
また、3月1日に韓国の文大統領がおこなった「反日」スピーチに対して、読売新聞は「歴史を歪曲する「反日」体質」と文氏を非難し、産経新聞は社説でこう書いていた。
史実をゆがめ、慰安婦問題とは関係のない戦争犯罪であるかのように印象づけ、日本の国と国民に延々と謝罪を強いていくつもりだろうか。
バーテンダーの言葉、検索キーワード、産経新聞の社説を見ると、「韓国はいつまで日本に謝罪要求を続けるのか?」「日本は韓国にどれだけ謝罪すればいいのか?」と思っている日本人はたくさんいることが想像できる。
不幸にして残念ながら、これに「いつまで」の期限は見えない。
韓国は日本に対して、きっとこれからも謝罪を要求し続ける。
記事のはじめに出てきた中央日報の記者は、バーテンダーの質問には答えていなかった。
けれど、5年前の”先輩”はちがう。
2013年に中央日報の東京総局長は「日本はいつまで韓国に謝ればいいのか?」という質問に対して、「上手にできるまで!」と答えている。
先ほどと同じ「グローバルアイ」のコラムにこうある。
私の記憶では最近10年間在任した8人の首相すべてがさまざまな席で謝罪を表明した。
国を象徴する日王(日本では天皇)もまた、痛惜の念を表わしている。それは認めよう。
そのためか、親しい日本の記者たちは私にお酒の席で「いったいどれほど、さらに謝ればいいのか?」と問い詰めたりする。そのたびに冗談半分・本気半分で応酬する言葉がある。「上手にできるまで!」
【グローバルアイ】佐々江大使さま、形容詞が違いますよ
このコラムが載るまでには、社内で複数の人間が、内容や表現に不適切なものがないかどうかチェックしているはず。
だから、これはこの当時の韓国人の「ふつうの考え方」ととらえていい。
2013年の時点で、8人の首相すべてがさまざまな席で謝罪を表明して、天皇陛下も痛惜の念を表わしていた。
さらに2015年の日韓合意で、慰安婦問題の「最終的な解決」を韓国政府が確認する。
それにもとづいて、安倍首相は心からのお詫びを表明した。
それにもかかわらず、2017年には、全国紙の朝鮮日報がコラム(2017/11/12)でこう書いている。
日本は「韓国にいつまで謝罪しなければならないのか」と言うが、彼らの心の内には「謝罪」などない。
「韓国を無視する国々にあって韓国にはないもの」
こうやって過去の謝罪が無効化されるから、もうキリがない。
産経新聞は「日本の国と国民に延々と謝罪を強いていくつもりだろうか」となげいていたが、それはまず間違いない。
日本が何度謝罪しても、「彼らの心の内には「謝罪」などない」とあちらは認めず、結局、「日本は本当に謝っていない。だから”真の謝罪”を求める」と言ってくるのだ。
なんで韓国はくり返し日本に謝罪を求めるのか?
韓国にくわしいジャーナリストの黒田勝弘氏はその理由として、「民族的快感」を指摘している。
韓国にとって日本はいつまでも謝罪、反省、補償をしない存在であってほしいのかもしれない。
いつまでも日本を叱り、諭し、教え、導くことができるからだ。この民族的快感は捨てられない。
この民族的快感のゆえに、日本がたとえいくら謝罪、反省を表明し補償したとしても、それは終わらない、いや韓国にとっては終わらせたくないのだ。
「‘日本離れ’できない韓国 (文春新書) 黒田勝弘」
「民族的快感は捨てられない」から、韓国は日本に謝罪を要求するという指摘は、これまでの経緯を考えるときっと正しい。「韓国にとっては終わらせたくない」のだから、日本への謝罪要求は終わるわけない。
きょねん朝日新聞の記者が使ったこんな言葉が話題を集めた。
「エビデンス? ねーよそんなもん」
「やはり慰安婦問題は許すことができないのですか」という丁寧な言い方はしないで、この記者の言葉を借りてこう言ってはどうか。
「謝罪?ねーよそんなもん」
日本はこれ以上、韓国に謝罪をしないとハッキリ言い切っててもいい。
「日本は韓国に心からの謝罪をしなければいけない」という言葉はいまは逆効果で、韓国嫌いの日本人を増産させるだけだ。
バーテンダーと会話をした韓国人記者は、「確実に韓国に対する認識が以前より悪化していることを肌で感じる」と日本での不安を口にしていたではないか。
歴史を過去に戻して謝罪を要求するのはもう終わりで、日本と韓国はこれからは未来に進んでいくべき。
東南アジアに反日感情はある?→「日本は、いつまで謝ってるの?」
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