【ブランド価値】江戸時代の日本人に欠けていた考え方

 

6月7日は1884年に、日本で商標の制度がはじまった日。(商標条例制定)
たとえば、スポーツシューズを買う時に、「NIKE」や「ADIDAS」といった製造者を確認することは誰もが普通にやっている。
商標とは、自社の商品を他社のものと区別するために使われる名称やマークのこと。
「NIKE」という文字やあの「レ」みたいなマークが商標になる。
できたばかりの無名の会社にも商標はあるが、ナイキやアディダスのような大企業と違って、ブランド力はゼロも同然だ。
江戸時代の日本人には、このブランドが持つ力という発想が欠けていた。

 

明治時代がはじまったころ、1871年に岩倉具視をリーダーとし、木戸孝允、伊藤博文、大久保利通といった明治維新のスーパースターたちを含む 100人以上が約2年をかけて欧米を訪問した。
日本を近代国家へと生まれ変わらせるために、この岩倉使節団が欧米を視察し、進んだ文明や文化、社会制度などを学んだ。
この時代、近代化に失敗したら、植民地にされる可能性があったから彼らは必死だ。

 

左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

 

岩倉使節団のメンバーだった久米 邦武(くめ くにたけ)は、アメリカでブランドが持つ価値に刮目する。
当時のアメリカはワインの瓶を作る技術を持っていたが、自国ではそれをしないで、遠く離れたフランスから輸入していた。
なぜか?
ワインと言えば、ボルドーやシャンパーニュなどのフランス産が有名で、世界的に高く評価されてていたから、酒瓶や包装まですべてフランスのブランド力を借りないと、アメリカでは売れなかったという。
久米はそのことを説明し、ブランド価値の重要性を強調した。

貿易においてブランドは巨万の資本よりも重要なのである。すぐれたビジネスは年々このブランドを高めようと努める。目先の利益にこだわらないのはブランド価値を資本に積み増すためなのである。これに対し下手なビジネスは小利を得ようとしてブランドを失ってしまう。

「現代語縮訳 特命全権大使 米欧回覧実記 (角川ソフィア文庫) 久米 邦武; 大久保 喬樹」

 

当時の日本で生産されたものにも、欧米人から評価されるものはたくさんあったにもかかわらず、輸出で利益が上げられなかった。
久米はその理由の一つに、「目先の小利益を求めてブランドを広めず、そればかりかすでに得ていた評価まで失ってしまうこと」を挙げる。
ただの木の皮(コルク)でも、フランス・ブランド力があれば、年間1000万フランという巨額の利益を上げていることを知り、久米は「なんと盛んなことではないか」と驚く。
新しい日本に必要なことは、世界中に日本のブランドを広めて需要を拡大することだと彼は指摘した。
その考え方が、1884年の商標制度のはじまりにつながる。

現代の日本人は、目先の小利益を求めず、質の高い製品を作り続けて信用を積み重ね、日本という国のブランド力や日本製品の価値を高め、世界で広く認められている。

 

 

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2 件のコメント

  • > 現代の日本人は、目先の小利益を求めず、質の高い製品を作り続けて信用を積み重ね、日本という国のブランド力や日本製品の価値を高め、世界で広く認められている。

    大部分はそうなのですが、一部にそうじゃない業界もあるみたいですけどね。例えば、型式認証のための検査データを偽っていた、そんな不正メーカーばかりであることが軒並み発覚したなんて。信じがたい業界がこの日本にもあるようです。
    まあそれでも、自ら発表しているだけまだマシかもしれない。今後への一筋の希望です。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。