793年のきょう6月8日、ノルマン人がイングランドの修道院を襲撃し、ヴァイキング時代がスタートする。
ヴァイキングとは武装したノルマン人の集団で、彼らは今のイギリスやフランスなどの沿岸部で海賊活動をしていた。が、略奪だけではなくて交易も行い、海岸部に移住したヴァイキングもいた。
なんでそれが日本で「食べ放題」の意味になったのかは、この記事を見てほしい。
たとえば、9世紀にノルマン人はフランス北西部に侵入し、ノルマンディー公国を成立させた。そして、1066年にノルマンディー公ウィリアムが海をわたってイングランドへ攻め込み、征服したことでヴァイキング時代は終了する。
いわゆる「ノルマン・コンクエスト」だ。
つまり、ヴァイキング時代はイングランドにはじまり、イングランドで終わったということになる。
ヴァイキングが8世紀ごろに登場した理由については諸説ある。
有力な説は、カール大帝への復讐というものだ。
当時、シャルルマーニュ(=カール大帝)は「すべての異教徒をキリスト教徒にするために力と恐怖を行使」し、洗礼を受けさせたり、改宗や処刑を命じた。その結果、ヴァイキングやほかの異教徒たちはこれに抵抗し、彼への復讐を望むようになったという。
Charlemagne “used force and terror to Christianise all pagans”, leading to baptism, conversion or execution, and as a result, Vikings and other pagans resisted and wanted revenge.
カール大帝
彼はフランク国王(在位:768年 – 814年)で、初代神聖ローマ皇帝(800年 – 814年)でもあった。戦いに勝って領地を広げ、現在の西ヨーロッパのほぼ全域を統治する。
彼の死後、フランク王国が分裂してフランス・イタリア・ドイツの“原型”が誕生した。
ちなみに、トランプのハートのキングのモデルはカールと言われている。
ヴァイキング時代の幕開けとなったイングランドの修道院襲撃は、カール大帝が率いるキリスト教軍団による異教徒に対する戦争と時期が一致している。
この説によると、キリスト教との宗教的対立によって、ヴァイキングが生まれたことになる。
ヴァイキングというと、角のついたカブトがお約束。
でも、これは後世の人間が勝手につくったイメージで、実際のヴァイキングはこんな格好をしていなかったらしい。
ヴァイキング時代が終わった少し後、東アジアの海では倭寇が現れはじめた。
倭寇は武装集団で、朝鮮や中国の沿岸部を襲撃し、略奪行為を行なっていから、ヴァイキングと似ている部分が多い。もう、「東洋のヴァイキング」と言ってヨシ。
「倭」とは日本の蔑称だが、実際の倭寇には、日本人のほかにも中国人や高麗人(韓国人)がいた。
倭寇が現れるようになった理由として、よく指摘されるのが元寇だ。
この戦いは最終的に日本が勝利したが、モンゴル・高麗軍の襲撃を受け、対馬など九州の北部は略奪や虐殺によって大きな被害を受けた。
元寇の後、対馬、壱岐、五島列島の住民は極度の貧困に苦しみ、海賊となって中国や朝鮮半島で略奪行為を行なったという。
この説については下の記事でくわしく書いたので、興味のある人はご一読あれ。
ということで、ここで紹介した説によると、ヨーロッパのヴァイキングはカール大帝やキリスト教徒への復讐、倭寇は元寇へのリベンジから生まれた、ということになる。
> いわゆる「ノルマン・クエスト」だ。
「クエスト」だけでは「探求・冒険」だけになってしまいます。(例えば、Dragon Quest ダイの大冒険)
やはりここは、「ノルマン・コンクエスト」(Norman Conquest、ノルマン人の征服)という歴史学上の用語を使うべきではないですか?
その通りです。
記事の表現が間違っていました。
ご指摘ありがとうございます。