いま世界で一番ガソリン代が高いのは香港で、1リットルあたり約400円とか。
ウクライナ戦争の影響だろうけど、日本なら物流もレジャーも止まって経済が窒息死するレベル。
さて3日前の6月26日は、1843年に初代香港総督が着任した日なんでこんな記事を書いたのですよ。
中国が香港をイギリスに奪われた原因は、1840年に起きたアヘン戦争の敗北にある。
このあと日本は開国して近代化に成功した一方、それに失敗した中国は、1895年に日清戦争で日本に撃破されることとなる。
この違いを生んだ原因のひとつに、危険察知能力と情報活用力の違いがあった。
アヘン戦争の始まりについては、アヘンの密輸を止めなかったイギリスが悪い。
その直前、国民を「アヘン漬け」にされた清はイギリスにアヘンの販売を禁止しする。
でも、この商売はすごく儲かるから、かっぱえびせん以上に途中で止めることは難しい。
それで中央政府から派遣された林則徐(りん・そくじょ)という役人は、イギリス商人からアヘンを強引に奪って海に捨てて処分してしまう。
これに怒ったイギリスが戦争を始める。
でも当時、世界で最もパワフリャーだったヴィクトリア時代のイギリスに、清が勝てる可能性は控えめに言ってゼロだった。
清は惨敗し、多額の賠償金を払わされて香港まで失う。
当時の中国人はアヘン戦争をどう考えたのか?
このことに興味があったんで、中国旅行で歴史に詳しそうな日本語ガイドに聞くと、彼はこんな話をする。
「北京は変わりませんでした。香港は遠く離れていて重要な場所ではなかったし、皇帝や清朝政府は敗北に怒りましたが、相変わらず好きなものを飲んで食べて、ぜいたくな生活をしてましたよ。アヘン戦争を見て、欧米列強は中国の国力がどの程度か分かり、その領土を虎視眈々とねらっていたのに、政府の人間は西洋人を野蛮人と呼び続けて、何も気づいていませんでした。本当なら敗戦で生まれ変わらないといけなかったのに、清朝政府は時間をムダにして、欧米の侵略を招いたのです。」
四方から猛獣が近づいているのに、にぎやかなパーティーをしていて気がつかない。
清の皇帝や周囲の人間は、こんなホラー映画の始まりに出てくるパリピも同然で、このあとアロー戦争や義和団事件で欧米に負け、領土やカネをとられて声も出す力もなくなる。
でも、アヘン戦争の敗北を冷静に分析して、いま国際社会で置かれている中国の状況はかなりヤバいと気づく人もいた。
林則徐の友人・魏源もそんな危険察知能力の高い人のひとり。
林からイギリスやアメリカの情報を渡された魏源は、それをもとに『海国図志』という100巻になる本を書く。
「西洋の優れたところを学んで、西洋の侵略を制する」(夷の長技を師とし以て夷を制す)という立派なアイデアのこの書は、各国情勢や西洋の船や大砲などをくわしく解説して、東アジアでは初となる本格的な世界紹介書となった。
でも、ブタに真珠の価値は分からない。
「中国は世界最高の文明国だ」というファンタジー世界に生きていた清朝政府の人間に、国を変えようとする魏源の熱意は伝わらなかったし、『海国図志』という警告の書もほとんど無視されて、中国に大きな影響を与えることもなかった。
海国図志
こんな感じに地図を交えてわかりやすく解説しているのに、清朝政府は見向きもしない。
アヘン戦争の結果で、中国以上に衝撃を受けたのは日本だ。
オランダから正確な情報を入手していた江戸幕府は、清がイギリス相手に「雑魚キャラ」のように負けたことを知り、政策を変える。
異国船が近づいたら、迷わず砲撃して打ち払えと命じていたのをやめて、幕府は異国船に燃料や食料、水を与える「薪水給与令」をだす。
「いま西洋と戦っても勝てない。まずは経験値をつんでレベルアップしないと!」と幕府は考えたと思われる。
それで欧米諸国とのトラブルを避けるために「薪水給与令」をだすと同時に、西洋の強さのワケをよく研究することにした。
幕末の有識者は、林則徐が資料を集めて魏源が結集させた『海国図志』をよく読んで海外情勢を知り、国防についての意識を変える。
佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛など日本を変えた偉人は『海国図志』を読んでいた。
中国や韓国より早く開国して欧米との交流をスタートするとか、アヘン戦争後の激動の国際社会に日本はうまく対応することができた。
その理由のひとつに、中国政府が捨てた本を日本が拾って役立てたことがある。
欧米の先進技術を学ぶことで自国を侵略から守り、明治維新で近代化を成功させた。
そんな日本は、『海国図志』で魏源が訴えた「夷の長技を師とし以て夷を制す」を体現した国だ。
これについては「謝謝中国」と言うしかない。
一方、中国はアヘン戦争の後、欧米列強にあちこちの領土を奪われて、半植民地状態になって辛亥革命によって1912年に滅亡した。
今そこにある致命的な危険に気づかなかったし、自国民がつくった宝の価値も分からなかった。
なら滅ぶしかない。
新幹線の始まり「あじあ号」、明治(満州鉄道)から平成(JR)へ
> まずは経験値をつんでレベルアップしないと!」と幕府は考えた・・・
> 幕末の有識者は、・・・佐久間象山、吉田松陰、西郷隆盛など日本を変えた偉人は『海国図志』を読んでいた。・・・
> 激動の国際社会に日本はうまく対応することができた。・・・その理由のひとつに、中国政府が捨てた本を日本が拾って役立てたこと・・・、明治維新で近代化を成功させた。
このように書いてしまうと、おそらく、幕末~明治期の日本の歴史をよく知らない外国人とか若い人達には、その三人がいずれも暗殺・処刑・戦死など不遇の死を遂げるに至ったこと、にも関わらず幕府の大政奉還を経て明治政府が(比較的スムースに)成立したこと、といった一連の歴史の流れが理解できないでしょうね。幕末期にはそんな有識者もいたのに、なぜ幕府は倒されてしまったのか? つまりは彼ら偉大な有識者をもってしても統治能力が不足だったのか? さらにはまた、結果的には、最後の将軍徳川慶喜も明治天皇も双方ともに、どうして生き延びることができたのか? と。謎は深まるばかりです。
このように、一見すると不合理に見える、世界の常識に反する歴史の流れこそ、外国人が日本を理解するのに一番難しい点の一つなんです。
ただし、それはそれで「不思議の国ニッポン」の価値を高められる理由なのかもしれないですが。