“メルカリ”の由来・日本における「市場」の歴史

 

売りたい人が商品を、買いたい人がお金を持って集まって、喧々諤々(けんけんがくがく)のやり取りをする空間を「市場」という。
個人的に海外旅行の楽しみがコレですよ。
市場を見て歩いて、日本には無い野菜や果物を発見することは、異文化理解のドアをたたくことになるし、日本と同じ野菜や果物でも、その並べ方にはやっぱり文化の違いがあらわれる。
肉屋の主人が大きな包丁を振り上げて、その場でダンっ、ダンっと鶏や豚の肉を切っていると、あたりが血まみれになって、現代の日本人にはキツイ光景だけどそれも異国体験の一つだ。
売り手と買い手が「絶対に負けられない闘い」、つまり値段交渉をしている様子を見るのも楽しい。
冷蔵庫が少なかったころの発展途上国では、朝の市場は本当に盛り上がっていた。

 

イエメンの市場

 

ミャンマーの市場

 

市場の歴史をさかのぼると、日本では奈良や平安時代に「市司(いちのつかさ)」という公的機関があって、平城京や平安京の東西にあった2つの市を監督していた。
商人がぼったくり価格を設定しないように市をコントロールしたり、朝廷が必要な物資をそこで購入したりすることが市司のお仕事。

その後、時代とともに生産力や購買力が上がっていくと、日本各地で民間の市場が開かれるようになっていく。
神出鬼没の「ゲリラ・ライブ」みたいに、ある日とつぜん市が開かれても困る。
鎌倉時代には月3回の決められた日に開く「三斎市」が全国に普及していき、室町時代になると「六斎市」や「九斎市」も登場した。(定期市
三重県の四日市市は4日ごと、滋賀県の八日市市(いまの東近江市)は8日ごとに定期市があったことからこの地名が付けられた。
広島県には、20日を意味する廿日(はつか)市市がある。

室町時代、市は特権商人に独占されていたから、戦国大名がそのシステムをぶち壊して、どんな商人でも自由に商売ができるようにしたことや、その市場を「楽市」という。
この場合の楽は「free」の意で、辞書を見ると「楽市」の英訳は「free market」になっている。いまの日本人にはこっちの方が分かりやすいのでは?
上のミャンマーの市場の様子は、日本なら室町時代のものとあまり変わらない気がする。

市場を基礎として発達した集落が「市場集落」で、守護神として市神を祀っていることが多かった。歴代の皇居もこうした市との関係を考慮に入れて、位置を決めていたという。
中世のヨーロッパでは市場を開催することができるのは限られていて、その権利を持つ集落を「マーケットタウン」といった。
ドイツにはそれに由来して、名前に「Markt(マルクト)」の言葉のある都市がいくつもある。

定期的に開かれていた市も常設の店が設置されると、役割を終えて姿を消していった。
江戸時代には魚屋や米屋、野菜を扱う八百屋が当たり前になったけど、定期市も開かれていたと思われる。
いまではスーパーやショッピングモールが、個人商店に取って代わっているのは言うまでもなし。
平成になるとネットでの取引が盛んになって、いまの日本で「メルカリ」を知らない人はまずいない。
でも、「メルカリ」という言葉は、「商いをする」という意味のラテン語「mercari」に由来することを知ってる人は少ない予感。
このラテン語が英語の「マーケット」の語源になる。
だから「メルカリ」という言葉だけなら、1周まわったどころか、古代ヨーロッパに先祖返りしたことになる。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。