至高の存在が奈落へ 「憤死」した教皇ボニファティウス8世

 

きのう12月24日のクリスマスイブ、浜松市内を車で走っていると、ドミノピザの店舗前にすさまじい「ピザ待ち渋滞」が起きていた。
で、700年ほど前にタイムスリップすると、1294年の12月24日は、ヨーロッパでボニファティウス8世がローマ教皇になった日だ。
でも、この人物の最期を知っていたら、「おめでとうございます!」なんてとても言えない。
ボニファティウス8世は教皇としての功績よりも「死に様」が世界的に有名で、日本の高校生が学ぶ世界史の教科書には「憤死」したとある。

 

もう人間の限界を超えて激怒し、憤激して憤慨し、そして死ぬことを憤死という。
といっても「てめえらに今日を生きる資格はねぇ!!」と叫んで、全身から血管が浮き出た後に、それが切れて血を噴き出して死ぬというのはアニメの世界で、歴史ではすさまじい怒りを抱えたまま死ぬと「憤死」と呼ばれる。

このボニファティウスは不正をして、ローマ・カトリック教会のトップに立ったとウワサされていた、かなりブラックな教皇だ。
イタリアの名門貴族がそれを指摘すると、激怒した彼は教皇の権限をフルに利用して、一族を滅ぼすために「十字軍」を集めて攻撃させた。
自分を守るためなら基本なんでもアリで、邪魔になった前教皇を城の牢獄に閉じ込めたこともある。
ダンテは自身の作品『神曲』で、ボニファティウス8世が地獄に堕ちて燃やされる姿を描いたというから、果てしなく自己中でごう慢な教皇だったらしい。
結果的には、それが自分を死に追いやる。

フランス国王フィリップ4世が戦争に必要な費用を得るために、フランス国内のカトリック教会に課税をしようとすると、ローマ教皇庁の収入が減ることを嫌がったボニファティウスは、教皇の権威は地上のあらゆる権力の上にあり、「教皇に従わない者は救済されない」と言い放つ。
フィリップ4世がこれに怒ると、自分の言葉に服従しないことにボニファティウスが逆ギレして、フィリップを破門する。

 

拘束されるボニファティウス

 

すると1303年にフィリップ4世は、アナーニという都市にいたボニファティウス8世を襲って捕まえてしまう。
このとき王の家来はボニファティウスに「異端者」とののしって顔を殴り、さらに教皇の冠と祭服を奪ったという。
その後、ローマから駆けつけた兵によって救われて、彼はローマに帰還することができた。(アナーニ事件
でも、神の代理人で全人類で至高の存在であるはずの自分が、フランス王の家来ごときに面罵されて顔を叩かれて、数日間、囚人のような境遇に置かれていたから、もう精神が破壊されたのでは?
ここまで落差のある落ち方をした人物は、世界史の中でもなかなかいない。
『しくじり先生』に出れば神回の予感。
アナーニで襲撃と屈辱を受けた翌月、ボニファティウス8世を急に亡くなってしまったことから、実際には、腎臓の病気らしいのだけど、人々は「憤死」とウワサした。
それまでの生涯で立てた数々の「ごう慢」という名の不幸フラグを、最後で一気に回収したとても律儀な教皇とも言える。

 

憤死したけど、なにか質問ある?

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。