マナー違反の感覚：タイ人には問題でも、日本人にはマイペンライ

タイの首都バンコクには、世界中の旅行者が集まる「カオサンロード」というエリアがある。
むかし、そこのお土産屋で店員と話をしていると、ニコニコしていた彼から急に笑顔が消えた。
「どしたん？」とボクが聞くより先に、「あれを見ろよ」と言って彼が指をさす。
その先には、こんな外国人がいた。

半裸の２人を見て、店員は不機嫌そうな顔を浮かべてこう言った。

「ここはビーチじゃない。欧米人の中には、時々すごくごう慢なヤツがいる。でも、日本人は違う。あんな失礼な姿で街を歩かないし、とても礼儀正しく振る舞う。だから、ボクは日本人が大好きなんだ」

そりゃどうも。

この店員の話によると、日本人はタイ人に怒鳴ったり、酔っぱらって物を壊したりしないから、カオサンロード界隈では「とてもマナーが良い」と高評価を受けていた。
おそらく、このイメージはいまも変わらない。
日本人のボクとしては、路上にゴミが散乱しているのが気になるのだけど、このタイ人の感覚では、ゴミのポイ捨てなら自分もやるし、後で清掃員が片づけるからそれは「マイペンライ（問題ない）」とのこと。

立場が変わって、タイ人が日本を旅行すると、ゴミの落ちてない街や駅で静かに並んで電車を待つ乗客を見て、「日本人はウワサ通りだ！」と感心することが多いと、日本に住むタイ人から聞いた。
ただ、高い期待値の反動から、日本人の女性が電車の中で化粧をしているの見て、驚くタイ人もいるらしい。
当然のことながら、タイ人が思い浮かべる日本人像と現実の日本人は違う。
そんなズレを感じさせる出来事があった。

最近、日本旅行を楽しんでいた若いタイ人女性が、楽しみ過ぎて一線を越えてしまった。
下はかなりのミニスカートで、上は肩と腹を見せる露出度の高い恰好で電車の中で踊って、その様子をSNSにアップする。
すると、この動画がタイで問題視され、ニュース番組に取り上げられる事態になった。

日本の社会では、周囲への気配りが重視されていることは、タイ人の間でもわりと知られているらしい。
それで、動画を見たタイ人からは、「日本では、電車の中で携帯電話で話すことすらマナー違反になるのに、踊りだすなんて考えられない！」「ルールを守れ！」といった批判が殺到し、投稿は燃え上がった。
しかも、日本人の乗客はマスクをしていたから、その女の子のノー天気さが際立ってしまった。
炎上騒ぎになったことを受けて、その女性は「申し訳ありませんでした」と謝罪し、動画を削除するほど、やわなメンタルをしていなかった。
「あなたは日本へ行ったことがある？　日本人は寛容な人たちなのよ」と挑発的なコメントをして、さらなる燃料を投下した模様。

でも、日本のネット民の反応を見ると、「これぐらいよくね？」と、タイ人ほど重く受け止めていない。

・日本の中高生も踊ってるよ
・南武線ならOK
・外国人が楽しくて踊るぐらいなら別に。
うるさかったり他の人を邪魔したりとかはNG。
・タイ人恐怖症になりそうです
・たむろして床に座っている高校生の方が迷惑。

ちなみに、2015年にも、４人のタイの芸能人が日本の電車で踊り、その様子を SNSに投稿して炎上する出来事があった。
彼らは所属事務所から、６ヶ月の謹慎処分を受けたというから、ペナルティーとしてはかなり厳しい。

いまの日本社会では、イラっとするような迷惑行動はもう珍しくない。
電車の中で、混んでいても座席を詰めようとしない人、足を伸ばす人、大声で話す人、咳やくしゃみをする人など、いろいろなマナー違反が目立つ。
空いている電車の中で、１人の女の子がちょっと踊るぐらいなら、個人的にはじゅうぶん許容範囲だ。
それよりも、イヤホンの音漏れの方がウザイ。

ここ数年、日本で話題になる迷惑行為はそんなものじゃない。
他人の寿司に自分のツバをつけるとか、店のアルコール消毒液を使って「火炎放射」をするとか、犯罪行為をして喜ぶバカがいる。
きょうも、ラーメン屋にいたおっさんが、ニラの入った共有の容器に口をつけた件が発覚し、ネットで炎上した。
こうした違法行為ではないが、それに近いド迷惑なことをする人間も多い。
きょねん名古屋で、電車に乗っていた男が「映える」写真を撮りたいと思い、緊急用の通報ボタンを押した。
何事かと駆けつけた車掌に、男は電車内のライトを消してほしいと要求する。
それを聞いた車掌は「写真撮影のために通報ボタンを使うな！」とキレた。

もうこういう出来事を聞いても、「マジか！」と驚くよりは、「またか…」とあきれる人の方が多いのでは？

それでも、世界基準からすれば、日本人のマナーの良さは別格だ。
いま行われているサッカー女子W杯で、日本の選手やファンが掃除を行うと、海外メディアは「素晴らしい文化だ」と絶賛した。
日本人のモラルが全体的に低下したというよりも、SNSという「バカ発見機」で迷惑行為があぶり出されたり、「いいね！」という悪魔の誘惑から、つい過激な行動をしてしまう人間が増えたのだろう。
背景は何であれ、考えられないような迷惑行為に慣れてしまった結果、もう日本人は、電車の中でタイ人の女性が踊るだけでは動じなくなった。
特に、都市部にいる日本人のスルースキルの高さからしたら、音楽は後から動画に付けたものだろうし、あの動きぐらいきっと余裕で無視できる。
実際、あの動画が日本で問題になったという話は聞かない。

一方、タイの人たちは、日本人は周囲に気を使い、とても礼儀正しい人間と思っているから、「マナー大国」であの行為は重大な問題だと受けとり、ニュースで取り上げるほどの騒ぎになった。
日本人の感覚からすると「それはアカンやろ」というマナー違反でも、タイ人には気にならず、受け流されることはよくあった。
でも、その逆で、日本人が「マイペンライ（大したことない）」とスルーするというのは聞いたことがない。
「日本人は寛容な人たちなのよ」というより、日本人は耐性を身につけて、迷惑な行為に対して鈍感になったのだと思う。