2010年に韓国を旅行した。
空港からソウルまでバスで移動する間、旅行で食べる予定のトッポギ、焼肉、ビビンバを思い浮かべていたのだけど、そんなワクワク感はまさかの“おもてなし”を受けて吹っ飛んだ。
バスを降りると、バス停にはこんな言葉があった。
1910年の日韓併合によって韓国は主権を失い、日本の領土の一部となった。
現在の日韓では、この出来事に対する見方がまったく違っていて、鋭く対立している。
日本側では、あの併合は国際社会に認められ、国際法上でも合法だったと認識しているが、韓国側では、日本に脅され、強制的に結ばされた不法なものとされている。
(歴史認識の比較表)
この併合について、「韓国の意思は無視され、日本に強制された」と解釈している韓国にとって都合の悪い人がいる。
それが宋秉畯(ソン・ビョンジュン:そうへいしゅん)という朝鮮人で、日本の「世界大百科事典」にはこんな説明がある。
「親日団体一進会を組織して日韓併合に協力した中心人物」
あの併合に“協力”した人間は現代の韓国人にとっては“売国奴”だから、韓国の全国紙・中央日報は宋についてこう書く。(2005.05.13)
日本に国権を渡そうという請願書を提出するなど親日売国の行為をした代表的な親日派とされる。
親日派子孫・宋秉?の「土地返還訴訟」、敗訴確定へ
*この「親日派」は、韓民族の裏切り者や売国奴といった意味で、“日本が好きな人たち”というポジティブなワードではない。
この請願書とは、「韓日合邦を要求する声明書」のこと。
宋秉畯(ソン・ビョンジュン)らがつくった政治団体の「一進会」が、大韓帝国の皇帝(純宗)や首相の李完用に提出したのがきのう12月4日だった。
現代の韓国社会で「韓国と日本の合併は理想的だ」なんて言ったら、間違いなくネットで総攻撃を受けて、社会的に抹殺される。
その声明書の内容は大体こんなものだ。
日本は日露戦争で多くの犠牲を出しながらも勝利し、韓国を助け、東洋全体の平和を維持した。しかし、韓国はこれに感謝もしないで、欧米にすがっていた。外交権が奪われ、日本の保護国となったのは、我々が招いた結果である。
今後どのような危険が訪れるかも分からないが、それもまた我々が招くことだ。
だから、韓国と日本が一つの国になり、社会を発展させようと一進会は主張する。
当時、一進会は皇帝や首相に直訴できるほど大きな力を持っていて、併合に賛成する朝鮮人も実はたくさんいた。
これが、日韓併合は合法だったという日本の主張の根拠になっている。
だから、現代の韓国で彼らは代表的な親日派と見なされ、徹底的に嫌われる。
なんで彼らは韓日併合を望んだのか?
一進会の設立者の一人である李 容九は、朝鮮は政治改革に何度も失敗していて、支配階級である両班による下層階級への搾取や虐待を、朝鮮人が克服することはできないと考えた。
それで、彼は日本と同じ国になることで、初めてこの政治改革が実現できると信じた。
当時の朝鮮政府は腐り切っていて、自分で自分を変える力がないから、彼らは日本を利用しようとた。
しかし、朝鮮政府にとっては“無能”と宣言されたようなものだから、これを受け入れることはできなかった。
李 容九や一進会は、併合が韓国の利益になると考えたのだけど、現代の韓国社会ではそれは完全な売国行為とされ、それを推進した彼らは「代表的な親日派」と見なされている。
その子どもたちまで「親日派子孫」と呼ばれるのは気の毒だけど。
いまの韓国の歴史認識では、当時、多くの国民が朝鮮王朝の腐敗に対し、怒りや不満を感じていたことが無視されているような気がする。
こうした絶望感から、多くの朝鮮人が日本を支持したり、併合を望んだりするようになったから、スルーしたくなる理由は分かるけれど。
日韓併合に対する歴史認識の違いは決定的で、これはもう埋めようがない。
2110年になったら、韓国のバス停にはきっと「韓日強制併合 200年」と書いてある。
文を読んでいる間ずっと心が複雑です。
数千年の歴史を持つ国が自らを発展させることができず、近隣諸国に併合されたという事実は民族的屈辱です。その点で私はとても自尊心が傷つき辛いです。それにもかかわらず、当時一部の朝鮮人が日本との併合に賛成していたことは十分理解しています。1876年の江華島条約(日本では日朝修好条規)以来、朝鮮は自ら近代化の道を歩む十分な時間があったにもかかわらず、朝鮮は近代化に失敗し、国際社会の流れに逆行し続け、日本に危機感を持たせました。
日韓併合は日本の強制によってというより、朝鮮自らの失敗に起因した結果です。
しかし、韓国では凶暴な日本が近代化の道を着実に歩んでいる朝鮮を強制的に併合したという意見が大勢です。非常に愚かで反省できない態度です。
19世紀〜20世紀は弱肉強食の時代で、近代化して、強くならない国は生き残ることができませんでした。
朝鮮が近代化に成功していたら、独立国でいられたと思います。
歴史の「If」を言えば終わりはありませんが。