日本とアメリカ社会で、最も大きな違いのひとつが黒人に対する人種差別の問題。
日本にもそんな差別がないわけじゃないけど、アメリカのような闇歴史がなかったから、その次元は全く違う。
たとえば19世紀の日本では、特定の人間にこんな格好をさせて働かせることはなかった。
この黒人女性の奴隷は、たくさんのベルがある鉄製の器具を首に取り付けられている。
ベルの音が聞こえていれば、奴隷オーナーは「しっかり働いているな」と分かり、音が聞こえなくなれば逃げたと見なされる。
この器具は逃亡を防ぐために使われたから、奴隷が自力で外すことはできなかったはずだ。
日本では、海外から人間を輸入し、牛や豚と同じように売り買いする奴隷制度がなかったから、アメリカに比べると人種差別の問題が天地のレベルで違う。
アメリカのこんなムゴイ奴隷制度において、画期的なことが1865年のきょう12月18日におこった。
1853年にアメリカからペリーがやってきて、江戸幕府に開国を求める大統領の親書を渡し、1858年には日米修好通商条約が結ばれ、日米の貿易がはじまった。
この期間中、イギリスやフランス、ロシアの存在感がなかったのは、クリミア戦争でバタバタしていて、東アジアのことを考える余裕がなかったから。
でも、日米修好通商条約の後、アメリカは姿を消し、日本はヨーロッパ諸国との交流を深めていく。
今度は、1861年にアメリカで南北戦争がはじまって、日本のことを考える余裕がなくなったから。
南北戦争の原因は、北部は奴隷解放を目指したが、南部はそれを維持しようとして対立が深まったことにある。
この内戦の最中、北部の指導者であるリンカーン大統領は奴隷解放宣言をだした。
「スタップ細胞はあります!」と力強く言っても、それを実際に証明しないと意味がない。
奴隷解放宣言も同じで(たぶん)、宣言を確実なものにする必要があったため、戦争が北部の勝利で終わると、リンカーンは奴隷解放を法的に保証し、全米の州にそれを守らせるようにした。
そして1865年12月18日、奴隷について、
「アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない」
と明記された「合衆国憲法修正第13条」が成立し、リンカーンは有言実行の漢(おとこ)となった。
ということで、アメリカで奴隷制度が廃止されたのは1865年12月18日だ、って思うじゃないですか?
現在のアメリカで、「奴隷解放の日」は6月19日(ジューンティーンス)になっている。
これは1865年4月に南北戦争が終わり、6月19日に北部の将軍がテキサス州に奴隷制の廃止を伝えたことに由来する。
テキサスは奴隷解放を受け入れた最後の州だった。
法的な手続きが終わったのは12月18日だけど、実質的に終了したのは6月19日だ。
どっちにしても、アメリカの奴隷制度が完全に終了したのは 1865年と考えて間違いない。
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