日本は明治時代になると近代国家を目指し、西洋から優秀な人材を招いて、さまざまな指導を受けた。
そんな「お雇い外国人」の1人が、アメリカの学者で東京帝国大学の教授となったモース。
東京に住んでいた彼は日本人について、「人々が正直である国にいることは実に気持がよい」称賛している。
というのも、この国では部屋のカギをかける必要はなく、机の上に小銭や貴重品の懐中時計を置いたままにしても安全だから。
彼の部屋には、日本人の使用人や子どもが一日に数十回出入りしていたが、「触ってならぬ物には決して手を触れぬ」という状態だった。
使用人に服をクリーニングに出すことを頼むと、使用人はポケットに小銭が入っていましたと報告するし、サンフランシスコにいたころに使った乗合馬車の切符を持って来たこともあったという。
その気になれば簡単に盗めるのに、決してそうしない日本人の潔癖さにモースは深く感銘を受けた。
日本人が正直であることの最もよい実証は、三千万人の国民の住家に錠も鍵も閂も戸鈕も――いや、錠をかける可き戸すらも無いことである。
「日本その日その日 (モース エドワード・シルヴェスター)」
モースはアメリカ社会をよく知っていたから、日本はユートピア(どこにも無い場所)に見えたかも。
しかし、「降る雪や 明治は遠く なりにけり」で、現代の日本からこんな美しい風景は消えてしまった。
のび太くんの家でも、家族が外出するときは、窓や玄関にカギはかける。(そんな場面を見たことないけど)
モース(1838年 – 1925年)
明治時代からトキは流れ、太平洋戦争や高度経済成長などを経験し、日本の社会や価値観は大きく変わったが、モースが感激した日本人の良さは無くなっていないようだ。
ネットを見ていると、アメリカ人女性が「日本ならでは」の体験をしたと投稿しているのを見つけた。
ある時、彼女が日本人の友人と道を歩いていると、1円が落ちているのを見つけた。
彼女はそれをその日の「ラッキーアイテム」と考え、拾って財布に入れて歩き出したところ、友人はすぐに立ち止まり、それは戻したほうがいいと遠慮がちに言って、こんな話をしたという。
「in Japan they believe that when someone loses something it’s possible they will come back looking for it, so nobody takes anything that doesn’t belong to them.」
日本では、誰かが何かを失くしたら、それを探しに戻ってくる可能性があるとされている。だから、誰も自分のものでないものは取らない。
たとえ1セントであっても、拾って自分のものにはしないと知り、彼女は恥ずかしさを感じ、急いで1円を元のところに置いた(I felt embarrassed and immediately put it back)。
彼女は、日本の治安の良さが国民のモラルに支えられていることを改めて実感した。
モースは「触ってならぬ物には決して手を触れぬ」という日本人の態度と接し、「人々が正直である国にいることは実に気持がよい」と感激したが、このアメリカ人は違った。
自分のような俗物がこんな聖人と、友人としてやっていけるか自信が持てないと不安になったという。
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