3月12日は2001年は、人類の宝が永遠に失われた日。
国連教育科学文化機関(ユネスコ)がこの日、アフガニスタンのバーミヤンにあった貴重な石仏が破壊されていることを確認した。
5世紀〜6世紀ごろにつくられたこの巨大石仏は、世界遺産にも登録されていたのに、当時、アフガニスタンを支配していたイスラム原理主義勢力・タリバンが爆破してしまった。
ユネスコは「文化に対する罪」と批判したが、タリバンは「イスラム教の教えにもとづいて、正しいことを行ったまで」とまったく気にしなかったと思う。
ということで、今回は「イスラム教と偶像」をテーマに書いていこう。
バーミヤンの石仏のような破壊行為は、日本でも起きたことがある。
2023年、神戸で外国人のイスラム教徒が「(神は)イスラム教のアッラーしかいない!」と叫び、神社のさい銭箱を蹴ったり、近くのお地蔵さんを破壊する事件が発生し、日本人やイスラム教徒の怒りを買った。
イスラム教徒にとって、神はアッラーだけであり、仏像や神像などに祈りをささげる偶像崇拝は厳禁されているため、彼らは仏像を破壊したわけだ。
しかし、知り合いのインドネシア人やバングラデシュ人のイスラム教徒はこの行為を完全否定し、「その人はイスラム教を正しく理解していません」とあきれた様子で言った。
イスラム教は異文化を尊重する宗教で、聖典クルアーン(コーラン)には、他人が大切に思っているものを侮辱してはいけないといったことが記されているという。そのため、イスラム教徒として、このような蛮行には支持も共感もできないという立場だ。
こんなことが起こると、日本人がイスラム教徒に対して偏見を持つこちにつながる。普通の在日ムスリムにとってはまさに大・迷・惑。
日本の仏像を破壊するイスラム教徒を、在日ムスリムはどう思う?
イスラム教に対する解釈や考え方は一つではないため、同じイスラム教徒でも「正解」が異なることがある。2001年に、タリバンがイスラム教の偶像崇拝禁止に反しているという理由で、バーミヤンの大仏を破壊すると宣言したときには、他国のイスラム指導者たちが一斉に批判した。
しかし、タリバンはそんな国際社会の声を無視して、「アッラー・アクバル(アッラーは偉大なり)」という言葉と同時に大仏を爆破しやがった。
偶像破壊(「iconoclasm:アイコノクラズム」)の考え方は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のいわゆる「アブラハムの宗教」に共通している。そのなかでも、イスラム教がそれに対して特に厳しい。
とっても、社会にある像や絵をすべて破壊することはない。個人的にとても納得できたのが、英語版ウィキペディアにあったこの説明だ。
イスラム社会では、一般的には、モスク(イスラム礼拝所)やマドラサ(イスラム教について学ぶ場所)といった神聖な空間では、動物や人間などの生き物の描写を避けてきた。
In general, Muslim societies have avoided the depiction of living beings (both animals and humans) within such sacred spaces as mosques and madrasahs.
イスラム教徒にとって神聖な空間では、生き物の絵や像などを飾ることは許されなかったが、それ以外の一般的な場所で設置することは認められていた。
(どの程度までOKだったかは、時代や統治者によって異なる。)
個人的に、これまで日本に住んでいるエジプト人、インドネシア人、トルコ人、ナイジェリア人といった東南アジアや中東、アフリカのイスラム教徒に、偶像のOK/NGの基準について話を聞いたことがある。彼らは出身地はバラバラでも、街中のスーパーや路上といった公共スペースでは生き物の絵や像を飾ることはいいけれど、モスクでは絶対にダメという点で全員一致していた。
彼らが認められないのは、イスラム教徒にとって神聖な空間に偶像があること。日本国内のお寺や神社、路上に仏像や神像があっても気にしないから、それを破壊するという発想は1ミリも生まれない。
現代のイスラム教徒にとっては、これが常識的な考え方だから、異文化の中で共存することができている。
コメント
コメント一覧 (2件)
そう言えば、イスラム教徒(特に中東諸国の)が、犬や猫などペットを飼っている様子を見た記憶が無いのですけど。何かこの件と関係があるのでしょうか?
ペットと偶像崇拝は関係ないと思いますよ。
イスラム教徒のあいだで猫は人気です。