【承元の法難】世界の歴史と違って、日本ではレアな仏教弾圧

ヨーロッパの歴史では、キリスト教徒がユダヤ教徒を虐殺したり追放したりすることが何度起こり、究極的には第二次世界大戦中、ナチスがユダヤ人の絶滅を目的に600万人を虐殺した(ホロコースト)。
インドの歴史では、ムガル帝国などのイスラム王朝がヒンドゥー教徒にイスラム教への改宗を迫り、拒否すると殺害することがあった。

中国の歴史では、次の「三武一宗(さんぶいっそう)の法難」が知られている。
5世紀、北魏の太武帝が仏教の廃止を宣言し、寺院や仏像を破壊し、仏道修行をしていた者を生き埋めにした。
6世紀、北周の武帝は道教と仏教を廃止し、寺院を破壊して財産を没収。僧を一般人にさせ、その財産を没収した。
9世紀、唐の武宗は中国生まれの道教を優先して仏教を弾圧し、4000以上の寺院が廃止され、約26万人の僧尼を強制的に還俗させた。
中国の歴史でたびたび起きた仏教弾圧の中でも、規模や影響が特に大きかったのが上記の4つだ。

 

そんな世界の歴史とは違って、日本では宗教弾圧が本当に少なかった。その数少ない事例のひとつが、1207年の3月18日にあった承元(じょうげん)の法難だ。後鳥羽上皇が激怒して、法然の弟子4人が処刑され、法然や親鸞らが島流しにされた。
それはザッとこんな出来事だ。

前年の1206年に、法然の弟子たちが京都の鹿ヶ谷で念仏集会を開催すると、宮中の女官がこっそりこれに参加した。お坊さんの話を聞いて、「なんてすばらしい教えなの!」と感激した女官がいて、松虫姫と鈴虫姫がそのまま出家してしまう(なんという即断即決)。
しかも、女官たちは僧たちを気に入り、独断で御所に招いてそこで一夜を過ごさせた。

熊野から戻ってきた後鳥羽上皇は、自分の外出中にそんなことがあり、寵愛していた松虫姫と鈴虫姫が勝手に宮中から出ていったと知って、大激怒する。
後鳥羽上皇は僧たちを罰する理由に密通を挙げたから、きっと僧と女官たちが肉体関係をもったと信じたのだろう。
“上皇の女”に手を出してタダで済むわけがなく、4人の主催者が処刑され、その師匠にあたる法然や親鸞らも流刑となった。

ただ、出家した女官の名前が本当に松虫姫と鈴虫姫だったかなど、上記の事実関係について正確なことは完全には分かっていない。

法然が唱えた念仏宗は新しい仏教だったから、旧仏教の僧たちにしてみれば、自分たちの教えを否定されたも同然。だから、彼らは朝廷へ念仏宗を非難する訴えを何度もしていた。
しかし、朝廷側はそれを華麗にスルー。
現代の日本の政治家風に言うなら、「緊張感をもって注視していた」だけで、得に何もしなかった。宗教の争いには関わりたくないと思ったのだろう。
しかし、一線を超えたため、承元の法難が起きた。これは、念仏宗に対する朝廷と旧仏教教団の弾圧と言われることが多いが、後鳥羽上皇の個人的な恨みが大きく、世界史でよくあった国家による宗教弾圧とはやはり違う。

 

 

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