シャカはルンビニで生まれたが、ブッダと仏教はガヤで誕生した

浜松市民の1人として、市のマスコットキャラ「家康くん」を気に入っているけれど、岡崎市民の反応が少し気になる。
徳川家康は29歳から17年間、浜松城に住んでいた。曳馬(ひくま)という地名が「馬を引く(=敗北)」に通じ、縁起が悪いということで家康はその地の名称を「浜松」に変更した。こんな歴史から、家康は浜松市のキャラクターに採用された。
しかし、家康が生まれたのは岡崎城だ。岡崎市民は家康を郷土の誇りと思っているから、「浜松に奪われた」と不快に感じる人もいると聞いたことがある。
土地の境界は時代によって変わるから、こういうことが起こる。

 

さて、きょう4月8日はめでたい灌仏会(かんぶつえ)の日、つまりお釈迦さまが生まれた日だ。日本では、キリストが生まれたクリスマスを知らない人はいなくても、灌仏会を知っている人はとても少ない。仏教徒としては、愛人の誕生日を覚えていて、妻の誕生日を忘れるようなものだけど、日本人はそういうことを気にしない。
「灌仏会」ではやや堅苦しいので、シャカの誕生日を親しみやすく「花まつり」と呼ぶことが多い。

紀元前5〜6世紀、マーヤー(摩耶夫人)がルンビニという場所で脇の下からシャカを生んだとされる。シャカはすぐに立ち上がり、7歩歩いて右手で天を、左手で地面を指差し、「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)と言ったという伝説がある。
暴走族の特攻服にも描かれる「天上天下唯我独尊」という言葉は、「この世界の中で私のみが尊い」という意味とされるが、解釈はほかにもある。

ヒンドゥー教には、4つの身分からなるカースト(ヴァルナ)制度の誕生についてこんな話がある。
神ブラフマンの口から生まれた者が「バラモン」、腕から生まれた者は「クシャトリア」、腿(もも)から生まれた者は「ヴァイシャ」、そして足から生まれた者は「シュードラ」になったという。
シャカは王族出身でカーストはクシャトリヤにあたるため、脇の下から生まれたという設定になったと思われる。

インドにカースト(ヴァルナ)制が生まれた理由、今も続くわけ

シャカは仏教の創始者で、偉大な人物だから神格化され、生まれた直後に立ち上がり「天上天下唯我独尊」と言ったという話が作られたのだろう。そんな偉人だから、「彼はわが国の人だ」と思いたがる人たちがいる。

 

 

以前、インド人とネパール人と一緒にカレーを食べていたとき、シャカの生まれた場所について2人が論争を始めた。
しかし、結果は見えている。シャカが生まれたのはルンビニで、それは現在ネパールにある。カシミールのような領有権をめぐる争いはないし、インドもルンビニをネパール領として認めているから、シャカの生誕地について論争は余地はないと、そう思ったのだけど実はそうでもなかった。

ネパール人「彼が生まれたルンビニはネパールにある。これは揺るがない事実だ」
インド人「それは現在の話だ。シャカが生まれたころにはネパールという国は存在していなかった。しかし、インドという地名はあった。シャカは古代インドで生まれ、現在その地はネパールの一部になった」
ネパール人「当時のインドというのは大まかな“概念”に過ぎない。現代のインドとは違う」 インド人「彼が悟りを開いて、ブッダになったのはどこだ? それはインドのガヤだ。だから、ブッダや仏教はインドで生まれたんだ」

ネパール人はこの反論を予想していなかったらしく、黙ってしまった。しかし、その後も2人はゴチャゴチャと論争を続けていた。

シャカはルンビニで生まれたが、バラモン教徒(ヒンドゥー教徒の前身)として成長し、出家してさまざまな苦行を経て、ガヤの菩提樹の下で悟りを開いてブッダとなった。これは事実で、仏教はその時に始まったと言える。
インド人はメンツを守るために強引に反論することがあるけれど、この説には説得力があって、目からウロコが落ちた気がした。とはいえ、「浜松でさまざまな経験をして徳川家康が完成した」という理屈は岡崎市民には通用しないだろうけれど。

 

 

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コメント

コメント一覧 (1件)

  • そんな風に、釈迦や仏教の出自を国と国とで争うこと自体、釈尊の教えに反していると思いますがね。
    この光景を天上から眺めているだろうお釈迦様はどう考えているでしょうか・・・。

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